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あえばさんのブログです。(※ブログタイトルはよろぱさんからいただきました)
レビュー・感想・紹介
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本書は「性」という大いなる謎を進化生物学的視点から論じる。

読めば、進化生物学において「性」というものが思いのほか謎に満ちたものであることがよくわかる。
まず存在理由からしてよくわかっていないのだ。
僕が今まで信じてたのは環境変化に適応するための多様性の獲得だったが、過酷な環境ほど有性生物が多いかといえばそうではない。
普通に考えるなら、無性の方が子孫を残しやすいのだから圧倒的に有利なのだ。
なにせ有性生殖は子孫を残すたびに遺伝子を50%捨てなければならないのだから。

「性の存在理由」に関する説は複数あり、僕が今まで信じていた「環境変化に適応するための多様性の獲得」の他には、「草の絡み合った土手」説というのもある。
これは「ある程度同一規格で経済が飽和したのなら新しい規格を売り込んで顧客拡大を目論むのが自然」とでもいうべき説だ。
が、これも決定力が乏しく、また観察結果からも否定される。
この説が真なら小さな子を多く持つ種が有利になりそうだが、そうはならない

そこで本書が支持するのは「赤の女王」説だ。
生物にとって最大の競争相手は「自然」ではなく「他の生物」である。
性では特に「寄生者」が問題になる。
たとえば、ウイルスは短期間に世代交代を繰り返し絶えず突然変異で新しい型を生み出し続けるので、人間をはじめとした動物は性によって大幅な遺伝子組み換えで対抗する。
この説もまだ未解決問題がいくらか残ってるようだが、非常に興味深い。


続いて、本書では「なぜ性は二つでなければならないのか?」といった問題にも言及する。
なぜ雌雄同体ではダメなのか。同種の50%としか交配できないなどというのは非効率的ではないか。
まずはオスとメスの違いとはなにかを論ずる必要がある。
なぜ二性に分かれたのか?
その理由は引き渡される配偶子から寄生者を排除するためだ。
すなわち、オスの精子は核遺伝子以外の一切をメスの卵子には提供しない。
この際、ミトコンドリアをはじめとした細胞小器官(オルガネラ)も締め出される。
だが、オルガネラからするとこれは困る。
オスに移り住んでしまったが最後、袋小路に入るのだ。

仮にネズミが雌雄同体だったら?
オルガネラにとってオス機能は邪魔でしかない。
ゆえにそれを縮小させるよう目論む。
するとメスと雌雄同体の二者に分かれ、メスの数が増える。
するとオス側が有利になる。よってオスが増える。
そうして、メスとオスにきれいに分かれてしまう。
カタツムリなど雌雄同体の生物も存在するが、多くの生物が二性に分かれているのはこのためだ。


以上のように、オスとメスとでは進化圧が大きく異なる。
ゆえにオスとメスでは形質が違ってくる。
同性愛カップルは互いの性の特徴が強化されるという話は面白い。
ゲイは乱交でその場かぎりの関係が多く、レズは一夫一妻的でフリーセックスは好まない。
そうした性に対する姿勢の違いに折り合いをつけなければならないのが異性愛だ。

性淘汰の議論において必ず持ち出されるものにクジャクなどの過剰装飾がある。
彼らは生存に不利なレベルでの重い装飾を身につけてメスの気を引く。
性淘汰と自然淘汰が対立しているケースだ。
これについて、僕は今まで「ランナウェイ説」支持していた。
ある日、メスが尾の長いオスを好む。
生まれてくる子は、メスの「尾の長いオスを好む性質」と、オスの「尾の長さ」が引き継がれる。
それを繰り返せば、メスはどんどん尾の長いオスを好み、オスは尾が長くなっていく。
ただ、この説の欠点はその「ある日」になにが起こったのか、きっかけを説明できない点だ。

他に対抗する説としては、「優良遺伝子説」や「ハンディキャップ説」がある。
前者は「装飾が優秀な遺伝子のディスプレイである」とする説。
後者は「こんな邪魔なものつけてるのに俺は今まで生存してきたんだぜ! すごいだろ!」説。
正直な話、僕はこの二つの説を馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってきたが、両者とも一定の実験・観察による証拠を集めているらしく、どれが絶対的に正しいとはいいがたいらしい。
種によってふさわしいモデルが違うとかなんとか。


他に興味深かったものとして、鳥類のメスの不倫の話(これは寝取られ厨歓喜では)。
オスの不倫はより多くの子供の父親になるためでわかりやすいが、メスの場合は?
説として有力なのが、「子供を育てる夫」は欲しいが、すでに「いい男」は他の女にとられている。
ゆえに「いい男」の子どもを生み、そのへんの男を夫にして育てさせればよい、という戦略だ。



さて、本書後半から議論はいよいよ人類に集中してくる。
著者は、肉体だけではなく心にも確実に男女差が存在すると主張する。
そして、それは社会的抑圧といった説明だけでは不十分だ。
これらの主張は、一方で「男女は平等であるべし」という強烈な社会的抑圧を無視しているからだ。
もちろん根拠はそれだけではなく、様々な実験的証拠を挙げているが、詳しくは本書を読んでいただきたい。

乱暴にまとめてしまえば、男性は異性の若さと容姿を、女性は異性の金と地位を気にする。
男はポルノ映画を好み、女は恋愛小説を好む。
男は視覚的イメージを、前戯も後日談もない一夜限りの関係を、被写体の女優を好む。
女にとってセックスはおまけであり、そこに至るまでの物語を、異性の言動に対する自らの反応を想像して楽しむ。
男性はセックスの数だけ子供を増やせる可能性がある。
一方、女性はそうとはかぎらない。生涯に生むことのできる子の数には限りがある。
この違いが男女の思考形態を隔てている。

ただ、もっともらしい理論ではあるが、我々もよく知るよう、理解に苦しむ事例も多く残されている。
すなわち、「なぜ女性はファッションを追求するのか?」という問題だ。
ファッションとは「地位(ステータス)の象徴」であると考えてよいだろう。
しかし、ステータスを気にするのは女性であって男性ではない。
なぜ女性が自らのステータスを誇示することに固執するのか?
謎ではあるが、仮説はある。

男性は、女性が実際以上に容姿にこだわると考えている。女性は、男性が実際以上にステータスにこだわると考えている。つまりそれぞれの性は、本能的に異性も自分と同じことを好むという信念のもとに行動しているに過ぎないのだ。

つまり、互いに互いを投影して好みを勘違いしているという説明だ。
この記述から僕はもう一つのことを連想にした。
「ただしイケメンに限る」――男性側の投影による勘違いだ
「ただし美女に限る」の方がよほど正しい。
女性が好むのは男性の金や地位、そして背の高さくらいで、実のところ顔はほとんど関係ない。
(もちろん、これはあくまで統計的なデータであり、個々人すべてに適用できるものではない)

皮肉めいていて思わず信じたくなる説だが、本書にもあるようこの説明も完全ではない。
女性は自らの若さにこだわるが、異性の若さにはあまりこだわらないといった反例もある。
また、「そのような勘違いはそもそも進化的に不利ではないか?」といった反論も思いつく。
後者については防衛機制の投影が誤作動した、くらいの解釈が妥当だろうか?
いわば中立進化説のように、多少不利ではあってもそこまで適応度に影響を及ぼさないといったところか。
男性は「女性はイケメンを好む」と勘違いしているが、たとえば化粧のように自らの容姿を改善する努力はあまりしない。
勘違いがコストの浪費に結びつかないのなら大して不利でもないだろう。
しかし、一方ファッションは?
女性はファッションのために多大な浪費をすることはよく知られていることだ。

視点を変えよう。
そもそもファッションは必ずしもステータスの象徴といえるだろうか?
しかし、常に最新の流行を追い求めるその動機にはやはりステータスの誇示が含まれるだろう。
僕の思いつく説としては、女性のファッションは対男性より対女性を意識しているようにも思う。
女性には「悪い噂を流す」という情報兵器がある。
コミュニティで地位を維持できないものはこの攻撃の犠牲になる可能性がある。
女性もまた女性コミュニティで一種の権力争いがあるのではないだろうか?

「異性の理想の体型」については男女ともに勘違いしていることが実験で確かめられているが、ファッションについての実験は記載されていない。
いずれにせよ、このへんはまだ議論の余地が残っている。




本書の実際の議論はもっと細かくて丁寧だが、おおざっぱな理解で要約するとこんなところだ。
僕の読んだマット・リドレーの著作は『徳の起源』に続き二作目だが、どちらもあらゆる思惑(むろん比喩)が複雑に錯綜してにっちもさっちもいかない、理想主義を粉々にするような現実のもどかしさを感じずにはいられない。



訳者あとがき。

著者は繰り返し、科学的に現象を説明することと、その現象を肯定することは別であると述べている。それはその通りで、「である」という文章が「そうであるべきだ」という文章とは異なることや、科学的説明が価値観と別物であるということは、私自身の著書でも常に強調していることである。著者は、性差や人種差に関する研究が嫌われるのは、説明と肯定を混同する誤りに起因するものであり、そのような混同から、研究そのものが否定されるのは非科学的であると述べている。また、自分は現象を説明しているだけであって、社会問題に処方箋を与えようとしているわけではないともいう。
(中略)
科学的事実というものには、それなりの重みがあるし、それが我々の持っている価値観と異なっている場合には、そのギャップを埋める方策を考えなければならない。そして、そうするための納得のいく方策が出せないのならば、むしろ科学的事実を明らかにしないほうがよい、という意見もあながち否定できるものではないと私は思う。


なにいってんだこいつ。
と思って訳者名を見たら女だった。
あ、あー……。






訳が少々ぎこちないことを除けば文句のない素晴らしい一冊です!!
例によって絶版みたいだけどね!!

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タイトル通りです。
かつてDLsiteなどで買ったことのある商品の紹介でもしたいと思います。
もちろんエロですよ。ええ。
エロでなければ胎界主なんかも買ったことはありますが、ここに混ぜるのもなんかアレなので。
(分類的にはR-15だが、その原因はこのページなのでその方面での期待はしてはいけない)





Sandwich4

アレキシさんのサークル「てぃっつ!」のパイズリオンリーCG集です。ロリ巨乳です。
「Sandwich」シリーズは6作まで出てますが、こちらはオリジナルキャラクターの「ユニ」がメインとなっています。
ほかの作品はディスガイアとか元ネタがあるらしいのですがよくわかりません。
(たぶん元ネタとか知らなくても問題はない)

しかし重要なのは、「オリジナルキャラである」というよりは「基本的にキャラが一人だけ」という点です(厳密にはもう一人いて、ユニとのWパイズリと単独CGの二枚に登場)。
「一人のキャラで一つのプレイを徹底的に」というのが素晴らしいと思うのです。
なんかこう、素敵ですよね。
ユニのキャラもいわゆるロリババア口調で好みのタイプです。

着衣パイズリが多めで、スク水やパジャマ、浴衣など多種多様のパイズリを見せてくれます。
1プレイあたり2~3回は連続射精するというのもよいですね。
ただ、妙にこだわりのある「パイズリ断面図」は、僕にはちょっと意味がわからないです。




白濁口淫ヴワル図書館

sisyamo2%さんのサークル「ししゃもパブリッシャーズ」のフェラチオするだけのオールカラー漫画です。
すばらしいことに全く脱ぎません。
今さらかも知れませんが、僕はこういうのが好きなんですね。
いわゆる「本番」なし。脱がせずに着たまま、特定のプレイを徹底的に。
「特定のプレイ」にはパイズリや足コキが該当することが多いですが、当作品は「フェラもいいじゃないか」と思わせる程のエロ画力を見せつけます。

精液の描写にこだわりがあり、四種の量が異なる差分が用意されています。
男の陰毛についても「陰毛なし」「陰毛あり」「陰毛と抜け陰毛あり」の三種が用意されています。
このあたりのサービス精神はDL販売ならではですね。

不満点があるとすれば、背景は真っ白が多く少し手抜き感がありますね。
漫画を描くうえではどこかで手を抜かなければならないというのはよくわかるのですが。
エロメインとはいえ「どこでやっているのか」という臨場感を演出するのに背景は重要なのではないかと思うのです。
もちろん全コマに背景を描く必要はありませんが、グラデーションなどでもっとうまくごまかしていれば完成度は上がったのではないかと思います。
(そうしているページもあるのですが、色の選択を誤っているような……)

東方はよくわかんないです。



黒マグロ The Another Story
黒マグロ The Another Story

ガチロリ過ぎてDLsiteでは販売できなかったという曰く付きの品です。
「黒マグロ」シリーズの外伝に当たるようです。
くろふーどさんの絵はpixivで見ていましたが、当作品はロリが気になったので購入。
メインは巨乳の方なんですけどね。
ロリの方は納得の審査落ち。
いえまあ、僕としてはこのようなロリ規制は非常に嘆かわしいとは思っているんですが、DLsiteじゃあ無理だろうなあと。
いまいちラインがわかりませんが。

巨乳の肉感や汁の液体描写はあいかわらず見事。
ロリの体格差も審査落ちするだけのことはあります。
ただ、「糞まんこ」みたいな表現はどうなんだろうw
別にスカトロではなくて、「雌犬」や「雌豚」のようにMが自己卑下に用いる表現の一つなのですが、「糞」というのは……。
他には、「描き文字が雑すぎる」という点が少し気になってはいます。

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胎界主』というweb漫画がある。
以前もこのブログで紹介記事を書いた。

さて、このたび友人の一人を新たな読者として引き込めそうでいるのだが、第一話の解説に非常に手間取った。
友人曰く「一人ではとてもじゃないが読めなかった。間違いなく挫折していた」

すでに何度も言われているし言っているが、『胎界主』の初期は非常にわかりにくい。
そのわかりにくさの要因は以前に書いたとおりだが、今回は「描写の不足」に着目し、それを補う形で第一話の読解を試みたい。
自身の覚え書きと新たな読者への補助を兼ねて。
(以下、「こうすればわかりやすい」という書き方をしているが、必ずしも「そうした方がよかった」「こうすべき」という意味ではないのであしからず。「説明しすぎない」点もまた胎界主の良さだと思っているので……)


全体の要約:
悪魔は「胎界主」と呼ばれる人間と誓約しようと営業を頑張っている。
その営業争いに巻き込まれた戸的少年とそれを助けた主人公稀男のお話。


001~1p
主人公(稀男)の生い立ちが語られている。
この最初の3ページは「初見殺し」を自覚していた作者が新たに描き直したもの(もとは1ページだけだった)。
そのため、この最初の3ページで躓くことはないと思われる。



2~5p
稀男の登場シーン。
状況としては「チンピラがレストランを襲撃しており、そこでの食事を日課としている稀男が普段通り訪れた」。
要点は「稀男は『亡くし屋』と呼ばれており、奇妙な能力を持っている」「『助けて』というワードに反応」の部分。

チンピラの取り巻き(町田)の右手がなぜ怪我をしているかは不明(ナイフとんとんで失敗?)。



7~8p
魔王ベリトの召喚シーンだが、大ゴマでベリトの全身を描く登場シーンがあればわかりやすかったように思う。
(ただ、信者脳では「そういうありきたりな演出をしないからいいんだよ!」となってしまい困る)



9p
戸的実(ベリトを召喚した子供)が魔王の能力に対し疑問を抱いたり、願い事をしたり、その願い事が実際に叶えられる描写がごっそり削られている。
戸的の学校生活に場面を移し、「ホントに100点獲れるのかよ……」などと呟かせながらテストを解いてるシーンなどを挟むとわかりやすかったように思う。



10p~12p
ここでもチンピラ(2~5pの町田)との遭遇シーンがカットされている。
また、町田がなにも発言していないにもかかわらずベリトが「願い事はふたつ……『コイン』と久松組からの『逃亡』か……」とベリトが呟いているのは、町田の表層思考を読んだからである。
このあたりも「なんでわかった?」「思考が読める……? こいつ本物か」といった反応があるとわかりやすかったと思う(作中だと「!」のみ)。

11pで「バカァ」と開いた口は「地獄の扉」。



13p~16p
皆本部長はただの噛ませです。
もっともらしくかっこいいことを仰ってますが噛ませです。
球体使い」でも同じ扱いを受けます。



17p~19p
栗島たまきは通訳の夢を持っていたが喉を患っていた。
栗島たまきは「胎界主」である。
彼女にはどうしても叶えたい「願い」がある。
戸的くんは彼女を売って自由になりました。



20p
さすがに戸的くんも罪悪感を覚えたのか、ベリトの召喚方法を教えた占い師のおじいさんにベリトを倒す方法を尋ねている。
(ちなみにおじいさんの名前はレプラコーン。妖魔である。今後も重要人物)

ただし、一介の妖魔に過ぎないレプラコーンにベリトを倒す方法などあるはずもなく、「本」をある人物に渡すようにとだけアドバイスする。
(この「本」の出所も重要な伏線)

『ベリト閣下』じゃない 『バルバトス閣下』だッ!
なぜ 間違えた?
(中略)
”間違えた”……いや”間違えさせられた”か
ええぃ!『ベール派』め こんな僻地まで監視しとるとは

このあたりもまた作中の根幹に関わる重要な伏線だが、今は「悪魔にも派閥があり、『胎界主』の獲得を巡って互いに謀略を繰り広げている」とだけわかればよい。
なお、「胎界主」の概念だが、今のところは「悪魔が特に渇望している優秀な人材」程度の理解でよい。



21~23p
ようやく主人公登場。
髪も肌も瞳も白く、不気味な容貌をしているが、「ピンク色の髪」のような漫画的表現ではなく、作中人物にも同様に(人間に見えないレベルで)不気味に見えている点に注意。
この点は「お兄さん本当に人間?」といったやりとりがあればわかりやすかった。

「本」には様々な知識(作中のファンタジー設定に関すること)が書かれているが、戸的が「白紙」だと主張しているように「選ばれたもの」(作中用語でいえば「存在級位」の高いもの)にしか読むことができない。



24p
冒頭でもあったよう「助けて」という言葉に反応している。
その理由が明らかになるのは21話「人でなしの夢」まで待たなければならない。
今は、「稀男は『助けて』といわれると断れない」とだけ覚えておけばいい。

また、ベリトと戸的の対峙のシーンでさらっと「魔王は表層思考を覗ける」という情報が書かれている。



26p
この時点で稀男はすでに六芒星に関して準備を終えているが、戸的はそのことを知らない。
「六芒星は?」「構わん」といったやりとりがあるとわかりやすかった。
作中でいえば「とっとと済ませろ」「ぶやぁぁぁ?」「むやぁぁああ?」「んっまぁ どっちを信じるのかはお前の自由だ好きにしろ」あたりがそれに該当か。



27p
「か…… 」は『還れベリト』を言おうとしているのだと思われる。
ベリトが六芒星のことを知っているのか不明だが、なんらかの手段で準備が終わったのだろうと察している(前ページの最後のコマでも冷や汗)。
しかし、いずれにせよ戸的を言いくるめてしまえば問題ないと判断し、その方針で攻めている。
そして、戸的はその誘いにまんまとはまりかけてしまっている。



28p
稀男の連れてきた栗島たまきを見て戸的は改心。

このページで難しいのは「ワシとしたことがガキに気をとられて……」の台詞である。

①主人公の見た目が妖魔
②妖魔は取るに足らない存在
③実際には妖魔と人間の混血種
④人間でなければ(混血でもよい)「たましい」を持たず「胎界主」になれない

といった前提知識が要求される。
今までは「ただの妖魔」と見くびり稀男を注視していなかったが、たまきの登場で同時に稀男を注視し、その際アカーシャ球体も確認し、稀男こそが探していた「運ぶ力の胎界主」であることを見抜いた、というシーンであると解釈できる。

また、「おばんで~す」は北海道の方便で「こんばんわ」を意味するようだが、なぜ彼女が北海道弁を使ったのかは不明。



29p
「六芒星のなかに誘い込む必要がある」と説明していたが、実際に行ったのは「ベリト(のいる戸的の家)を囲むように巨大な六芒星を描く」という方法(ある種のとんち)。
というわけで、そのことを示す最初の二コマはもう少し大きくてもよかったように思う。


30p
件の新規読者より「たまきはなんで戸的に売られたのに怒らないの?」とのことだったが、「ううん 実くんは……」との台詞から寛大な心で許している模様。



31~32p
「ほっときゃいいじゃん 」
モップで掃除していることから塗料は水溶性であり、雨でも降れば消えそうなので放っておいてもよさそうだ。
今まで一般的な常識から「後始末はちゃんとする」という視点で読んでいたが、果たして稀男にそのような「常識」はあるのか、という疑問が生じた。
「住民が起きるからさぼってるヒマねーってんだよ」との台詞から、どうやら稀男は目立ちたくない・住民との関わりを避けたいようだ。
(「夜中に騒ぎながら掃除する方が目立つのでは」という野暮なツッコミもある)

また、「三本ものモップの出所は?」というツッコミもあったが、稀男の職業が墓守なのでモップは常備されていたのではないかと推測される。
(「モップよりはむしろデッキブラシでは?」という野暮なツッコミもある)



33p
「いいさ 探すほど大切なモノでもない」
ここで稀男が落とした四つ葉のクローバーは赤ん坊の時から大事に持ってきた、間違いなく「大切なもの」である。
にもかかわらず、稀男はそれを拾わなかった。
その理由や心情は様々に憶測されるが、これもまた稀男のキャラクター性に関わる重要な伏線であり、今後も似たような描写は何度か現れる。
(このあたりは東京でん太さんの「稀男にとって四ツ葉のクローバーとは」にて詳しく考察されていますので参照ください)

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コードウェイナー・スミス〈人類補完機構〉シリーズの『第81Q戦争』と『シェイヨルという名の惑星』を読んだのでまとめてその感想。

読んでて、まず思ったのは、自分の中で「SF=ハードSF」の観念ができあがっているなあ、ということ。
というのも、スミスはハードSFではなかったからだ。
ハードSFというのは「既知の科学理論を参照し、架空の現象についても原理や理論を厳密に描写するSF」ジャンルとのこと。
で、僕はSFというのはそういうものだと思っていたが、あくまでそれはSFのなかでの一ジャンルに過ぎなかったらしい。
(もちろんハードSF以外のSFも読んだことはあるし、その認識もあったが、すっかり忘れていた)

そして、スミスを読んでいて「これはSFなのか?」という疑問が何度か頭をもたげた。
おっと、いやだからといって「これはSFじゃない!」などと主張しジャンル論争を呼び起こしたいわけではなく、僕がそう思ったという感想がスミスの作風を伝えるのに役立てばと、あくまでそういう意図です。
不毛なジャンル論争には興味ありません!
実際、スミスもファンタジー誌に作品を応募などしていたようで、「ファンタジー寄りのSF」ということでイメージは伝えられるのではないでしょうか?

つまりスミスの作風は、ハードSFのように原理や理論の説明を積み上げてリアリティを構築するタイプではなく、あえて説明を省くことで読者の想像力を刺激し力業で読者を異世界に引きずり込むタイプ。
シナリオやストーリーや設定考証ではなくテキストを読ませる。
スミスは奇妙な言語表現や造語で読者の興味を惹くのが持ち味のようで、いわば詩的な作風。
訳のクオリティに左右されるのは翻訳作品全般でいえるが、スミスは特に顕著なのではなかろうか。
機械翻訳で内容がわかるだけでは楽しみは二割程度か(普通の作品が五割程度として)。
もちろん、原文を読んだり他の翻訳を読み比べたりしたわけではないので憶測に過ぎないけれど。


さて、内容について。
あらすじとしては「人類補完機構」という組織を軸にした一万年規模の未来史短編集といったもの。
概要だけ聞くとすごいスケール感にワクワクしたが、読んでて壮大なイメージは特に喚起されない。
「補完機構」には数人の長官がいて、といった組織図の説明はたびたびなされるが、長官以外には誰がいるのか? 下部組織は? そういう描写はほぼない。
一万年近く人類を統治してきた、という設定だったか、しかしそれに見合うスケール感はない。
そういう作風だ、ということなら別にそれでいいのだけれど。
面白いか、といわれれば、まあ面白いけれど、「よくできたラノベ」レベル。
「「なんか変な言動の登場人物が現れて、「なんだこいつは?!」というパターンの話が多い。
あらすじだけでは面白さは伝えられないが、描写については惹き込まれるものはある。
入念に伏線を仕掛けたり、オチでどんでん返したり、そういうテクニカルなことはあんまりしてない。
例外としては『第81Q戦争』収録「ガスタブルの惑星より」
この作品はユーモアに溢れてて好き。

あと好きなものを挙げれば同収録「大佐は無の極から帰った」
二次元から帰った大佐が二次元に戻りたい戻りたいって話。
「人びとが降った日」も、一発ネタだがイメージは強烈。

『シェイヨルという名の惑星』では、表題作が特に気に入った。美しいグロテスク。
「刑罰星」というアイデアはSFではよく見かけるが、彼がネタ元だったりする?


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ホーガンの〈ガニメアン〉シリーズ、『星を継ぐもの』『ガニメデの優しい巨人』『巨人たちの星』を再読したので感想でも。
これらの作品群を読んだことのない人がこの記事に興味を抱くかは不明だが、以下既読者向けにネタバレお構いなしに書きます。
『内なる宇宙』も読んだことはあるけれど、手元にはないので今回の再読分には含まれず。
(あまり再読したいと思えるほどの作品でもなかったし)


さて、改めて読んでみると、SF設定にしても、プロットにしてもかなり拙い印象を受けた。
面白いには面白い、が、特にガニメアンの設定がよくない。
読んでいてそればかりが気になってしまった。
他の作品にも言えるがホーガンは進化論に対する理解があまりに浅い。
代表的なのが、「ガニメアンは肉食ではないので争いを知らない」
これはあまりに酷い。巷でいう「肉食系」「草食系」と同レベルの理解だ。
肉食でなくとも当然争いは生まれる。
縄張り争い。性淘汰。殺し合いにまで発展する機会は稀ではあるが、争いは確実にあるし、騙し合いも盛んだ。
進化の歴史は争いの歴史だ。生物である以上争いを避けることはできない。
……という、常識に反する設定で読者を驚かせる、という意図があったのかも知れないが、設定考証が甘すぎた。
ガニメアンは囚人のジレンマにおいて「協力」カードを出し続ける種族なわけだが、現実的に考えればそんな環境では突然変異として現れた「裏切り」者が圧勝し、利益を独占し繁栄し、やがて「協力」と「裏切り」は均衡状態に向かうのが自然だ。
既知の理論では説明できない現象を説明するために拵えられたデタラメな造語に基づくトンデモ物理学なら別に構わないんだけど、既知の理論で説明・反駁できる範囲内だとどうも。
しかしこれはSF。とりあえずガニメアンに関しては「そういう設定」なのだと目を瞑ることにしよう。

だが、このあたりの甘さは『巨人たちの星』に登場する「ジェヴレン」にも現れる。

「彼ら(ジェブレン)は要するに、ガニメアンしか知らないね」(中略)「ところが、こっちは何千年来、人間同士でやってる」

お前はなにをいってるんだ。
少し想像力を働かせればわかるが、ジェヴレンだって一枚岩ではないはずだ。
ジェヴレン人もジェヴレン人同士で騙し合っているはずだ。
ホーガンさんはこういうところが弱すぎる。
彼の作品は突飛で奥深いSF設定は魅力的だが、敵キャラが総じて弱い。
彼の作品のすべてを読んだわけではないが、追い詰められるとすぐにパニックになり壊れたラジオみたいに罵詈雑言を撒き散らすだけの存在に成り下がる。
敵キャラが弱いので、終盤になるほどに酷く退屈になる。
終盤になると退屈になってしまう作品はホーガンさん以外にも枚挙に暇がないけれど。


もう一つ気になったのは、ホーガンさんに限らず「宇宙人」を扱ったSF作品全般に言える感想。
レムの三分類に従えばガニメアンは「人類と意思疎通ができる」タイプの宇宙人だが、あまりに意思疎通できすぎる!
「宇宙人が人間的すぎる」どころか「人間以上に話が通じる」=「コミュニケーションの齟齬がない」
これはさすがにないだろ……と読みながら思っていたが、「同じ日本人より米国人との方が会話できるわー」って人はいるだろうし、まったくあり得ない話でもないかと思い直す。
今までは「同じ人間同士ですらまともにコミュニケーションとれないのに宇宙人とコミュニケーションなんてとれるはずがない!」と思っていたが、同じ人間同士で話が通じないからといって宇宙人とも通じないとは限らない。
という発見があったので、読み直してよかったと思いました(小学生の感想文のイントネーションで)。
「宇宙人」のキャラクター造形は難しい。その点、同作者の『断絶の航海』に登場するケイロン人はよくできてる。


「地球上に蔓延る呪術・迷信・宗教などの非合理思考はすべて地球文明の発展を遅らせるために仕組まれたジェヴレンの陰謀だったんだよ!!!」という設定はさすがに馬鹿すぎて笑えるが、「宗教=害悪」を前提とした戯画的な発想は嫌いじゃない。


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プロフィール
HN:
饗庭淵
性別:
男性
自己紹介:
読みは「あえばふち」だよ!
SFが好きです。
公開中のゲーム作品
ロリ巨乳の里にて
パイズリセックスRPG。

幽獄の14日間
リソース管理型脱出RPG。

カリスは影差す迷宮で
仲間を弱らせて殺す遺跡探索RPG。

黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない
探索ホラー風セクハラゲーム。

英雄候補者たち
特に変哲のない短編RPG。

Merry X'mas you, for your closed world, and you...
メタメタフィクションノベルゲーム。

公開中の小説作品
創死者の潰えた夢
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「主人公補正」によって哀れにも敗れていくすべての悪役に捧ぐ。

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