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読めば、進化生物学において「性」というものが思いのほか謎に満ちたものであることがよくわかる。
まず存在理由からしてよくわかっていないのだ。
僕が今まで信じてたのは環境変化に適応するための多様性の獲得だったが、過酷な環境ほど有性生物が多いかといえばそうではない。
普通に考えるなら、無性の方が子孫を残しやすいのだから圧倒的に有利なのだ。
なにせ有性生殖は子孫を残すたびに遺伝子を50%捨てなければならないのだから。
「性の存在理由」に関する説は複数あり、僕が今まで信じていた「環境変化に適応するための多様性の獲得」の他には、「草の絡み合った土手」説というのもある。
これは「ある程度同一規格で経済が飽和したのなら新しい規格を売り込んで顧客拡大を目論むのが自然」とでもいうべき説だ。
が、これも決定力が乏しく、また観察結果からも否定される。
この説が真なら小さな子を多く持つ種が有利になりそうだが、そうはならない
そこで本書が支持するのは「赤の女王」説だ。
生物にとって最大の競争相手は「自然」ではなく「他の生物」である。
性では特に「寄生者」が問題になる。
たとえば、ウイルスは短期間に世代交代を繰り返し絶えず突然変異で新しい型を生み出し続けるので、人間をはじめとした動物は性によって大幅な遺伝子組み換えで対抗する。
この説もまだ未解決問題がいくらか残ってるようだが、非常に興味深い。
続いて、本書では「なぜ性は二つでなければならないのか?」といった問題にも言及する。
なぜ雌雄同体ではダメなのか。同種の50%としか交配できないなどというのは非効率的ではないか。
まずはオスとメスの違いとはなにかを論ずる必要がある。
なぜ二性に分かれたのか?
その理由は引き渡される配偶子から寄生者を排除するためだ。
すなわち、オスの精子は核遺伝子以外の一切をメスの卵子には提供しない。
この際、ミトコンドリアをはじめとした細胞小器官(オルガネラ)も締め出される。
だが、オルガネラからするとこれは困る。
オスに移り住んでしまったが最後、袋小路に入るのだ。
仮にネズミが雌雄同体だったら?
オルガネラにとってオス機能は邪魔でしかない。
ゆえにそれを縮小させるよう目論む。
するとメスと雌雄同体の二者に分かれ、メスの数が増える。
するとオス側が有利になる。よってオスが増える。
そうして、メスとオスにきれいに分かれてしまう。
カタツムリなど雌雄同体の生物も存在するが、多くの生物が二性に分かれているのはこのためだ。
以上のように、オスとメスとでは進化圧が大きく異なる。
ゆえにオスとメスでは形質が違ってくる。
同性愛カップルは互いの性の特徴が強化されるという話は面白い。
ゲイは乱交でその場かぎりの関係が多く、レズは一夫一妻的でフリーセックスは好まない。
そうした性に対する姿勢の違いに折り合いをつけなければならないのが異性愛だ。
性淘汰の議論において必ず持ち出されるものにクジャクなどの過剰装飾がある。
彼らは生存に不利なレベルでの重い装飾を身につけてメスの気を引く。
性淘汰と自然淘汰が対立しているケースだ。
これについて、僕は今まで「ランナウェイ説」支持していた。
ある日、メスが尾の長いオスを好む。
生まれてくる子は、メスの「尾の長いオスを好む性質」と、オスの「尾の長さ」が引き継がれる。
それを繰り返せば、メスはどんどん尾の長いオスを好み、オスは尾が長くなっていく。
ただ、この説の欠点はその「ある日」になにが起こったのか、きっかけを説明できない点だ。
他に対抗する説としては、「優良遺伝子説」や「ハンディキャップ説」がある。
前者は「装飾が優秀な遺伝子のディスプレイである」とする説。
後者は「こんな邪魔なものつけてるのに俺は今まで生存してきたんだぜ! すごいだろ!」説。
正直な話、僕はこの二つの説を馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってきたが、両者とも一定の実験・観察による証拠を集めているらしく、どれが絶対的に正しいとはいいがたいらしい。
種によってふさわしいモデルが違うとかなんとか。
他に興味深かったものとして、鳥類のメスの不倫の話(これは寝取られ厨歓喜では)。
オスの不倫はより多くの子供の父親になるためでわかりやすいが、メスの場合は?
説として有力なのが、「子供を育てる夫」は欲しいが、すでに「いい男」は他の女にとられている。
ゆえに「いい男」の子どもを生み、そのへんの男を夫にして育てさせればよい、という戦略だ。
さて、本書後半から議論はいよいよ人類に集中してくる。
著者は、肉体だけではなく心にも確実に男女差が存在すると主張する。
そして、それは社会的抑圧といった説明だけでは不十分だ。
これらの主張は、一方で「男女は平等であるべし」という強烈な社会的抑圧を無視しているからだ。
もちろん根拠はそれだけではなく、様々な実験的証拠を挙げているが、詳しくは本書を読んでいただきたい。
乱暴にまとめてしまえば、男性は異性の若さと容姿を、女性は異性の金と地位を気にする。
男はポルノ映画を好み、女は恋愛小説を好む。
男は視覚的イメージを、前戯も後日談もない一夜限りの関係を、被写体の女優を好む。
女にとってセックスはおまけであり、そこに至るまでの物語を、異性の言動に対する自らの反応を想像して楽しむ。
男性はセックスの数だけ子供を増やせる可能性がある。
一方、女性はそうとはかぎらない。生涯に生むことのできる子の数には限りがある。
この違いが男女の思考形態を隔てている。
ただ、もっともらしい理論ではあるが、我々もよく知るよう、理解に苦しむ事例も多く残されている。
すなわち、「なぜ女性はファッションを追求するのか?」という問題だ。
ファッションとは「地位(ステータス)の象徴」であると考えてよいだろう。
しかし、ステータスを気にするのは女性であって男性ではない。
なぜ女性が自らのステータスを誇示することに固執するのか?
謎ではあるが、仮説はある。
つまり、互いに互いを投影して好みを勘違いしているという説明だ。男性は、女性が実際以上に容姿にこだわると考えている。女性は、男性が実際以上にステータスにこだわると考えている。つまりそれぞれの性は、本能的に異性も自分と同じことを好むという信念のもとに行動しているに過ぎないのだ。
この記述から僕はもう一つのことを連想にした。
「ただしイケメンに限る」――男性側の投影による勘違いだ
「ただし美女に限る」の方がよほど正しい。
女性が好むのは男性の金や地位、そして背の高さくらいで、実のところ顔はほとんど関係ない。
(もちろん、これはあくまで統計的なデータであり、個々人すべてに適用できるものではない)
皮肉めいていて思わず信じたくなる説だが、本書にもあるようこの説明も完全ではない。
女性は自らの若さにこだわるが、異性の若さにはあまりこだわらないといった反例もある。
また、「そのような勘違いはそもそも進化的に不利ではないか?」といった反論も思いつく。
後者については防衛機制の投影が誤作動した、くらいの解釈が妥当だろうか?
いわば中立進化説のように、多少不利ではあってもそこまで適応度に影響を及ぼさないといったところか。
男性は「女性はイケメンを好む」と勘違いしているが、たとえば化粧のように自らの容姿を改善する努力はあまりしない。
勘違いがコストの浪費に結びつかないのなら大して不利でもないだろう。
しかし、一方ファッションは?
女性はファッションのために多大な浪費をすることはよく知られていることだ。
視点を変えよう。
そもそもファッションは必ずしもステータスの象徴といえるだろうか?
しかし、常に最新の流行を追い求めるその動機にはやはりステータスの誇示が含まれるだろう。
僕の思いつく説としては、女性のファッションは対男性より対女性を意識しているようにも思う。
女性には「悪い噂を流す」という情報兵器がある。
コミュニティで地位を維持できないものはこの攻撃の犠牲になる可能性がある。
女性もまた女性コミュニティで一種の権力争いがあるのではないだろうか?
「異性の理想の体型」については男女ともに勘違いしていることが実験で確かめられているが、ファッションについての実験は記載されていない。
いずれにせよ、このへんはまだ議論の余地が残っている。
本書の実際の議論はもっと細かくて丁寧だが、おおざっぱな理解で要約するとこんなところだ。
僕の読んだマット・リドレーの著作は『徳の起源』に続き二作目だが、どちらもあらゆる思惑(むろん比喩)が複雑に錯綜してにっちもさっちもいかない、理想主義を粉々にするような現実のもどかしさを感じずにはいられない。
訳者あとがき。
著者は繰り返し、科学的に現象を説明することと、その現象を肯定することは別であると述べている。それはその通りで、「である」という文章が「そうであるべきだ」という文章とは異なることや、科学的説明が価値観と別物であるということは、私自身の著書でも常に強調していることである。著者は、性差や人種差に関する研究が嫌われるのは、説明と肯定を混同する誤りに起因するものであり、そのような混同から、研究そのものが否定されるのは非科学的であると述べている。また、自分は現象を説明しているだけであって、社会問題に処方箋を与えようとしているわけではないともいう。
(中略)
科学的事実というものには、それなりの重みがあるし、それが我々の持っている価値観と異なっている場合には、そのギャップを埋める方策を考えなければならない。そして、そうするための納得のいく方策が出せないのならば、むしろ科学的事実を明らかにしないほうがよい、という意見もあながち否定できるものではないと私は思う。
なにいってんだこいつ。
と思って訳者名を見たら女だった。
あ、あー……。
訳が少々ぎこちないことを除けば文句のない素晴らしい一冊です!!
例によって絶版みたいだけどね!!
完結まで投稿を終えたのでここで後書きのようなものでも。
この作品は、ある新人賞に応募して落選したものに多少の加筆をしたものになります。
落選から公開までずいぶん間が開いてますが、加筆に時間がかかったとかそういうわけではなく、単にめんどくさかっただけです。
せっかくなので時間をおいて読み返すことでより客観的な推敲がしたかったのもありますが、いずれにせよ大きな変更はありません。
この作品のもともとの発想は「どこでもドアって兵器利用したら最強じゃね?」といったものです。
僕はいわゆる「能力バトルもの」が好みなのですが、そのうちで「幻覚系の能力」と「どこでもドアのような移動能力」が二強なのではないかと思っています。
似たような話は『或る魔法軍の遍歴』でも語られていますね。
で、どこでもドアのように自由自在に「扉」を開けられる、そんな相手を敵に回したらどうするか。
そんな妄想していて、浮かんだ対抗策が「海の中」か「空の上」でした。
前者であれば「扉」を開いた瞬間大量の海水が流れ込みます。
後者であれば気圧差で一気に吸い込まれるでしょう。
これはあくまで「人VS人」を想定した、少年漫画的な設定での妄想です。
そこから出発して「兵器利用となると原子力潜水艦との併用が最強ではないか」というアイデアに至ったわけです。
もともとは「狙いを外して海中にドアを開いてしまうと危険なので迂闊に攻撃できない」という発想でしたが、これはエアロックというアイデアで簡単にクリアできます。
しかし一方で、原潜の強さはステルス性にあります。
どこでもドアは相手の位置さえ分かれば無限の攻撃力を有する兵器となる。
ならば位置を秘匿するしかない。その点で最も秀でた兵器は原潜である。
いずれにせよ原潜運用が最強であるという結論は変わりませんでした。
実は言うと本作はほとんど共作のようなもので、URATOMOという友人の全面協力を得て書かれています。
「どこでもドアをリアルに軍事運用したらどうなるか」
魅力的なテーマですが、僕だけの力では知識が足りません。
そこで彼に軍事考証を依頼したわけです。
実際にはそれだけに留まらず設定考証全般、改善点の提案、プロット段階でのアイデア出しまで協力を得ています。
具体的には、四章のラストなどは彼のアイデアです。
以上のように、もともとのアイデアは「どこでもドアの軍事利用」ですが、作品のテーマそのものは「どこでもドアが実際にあったらどうなるか?」に切り替えています。
そして現実的に考えるなら、突如そのようなオーバーテクノロジーが降ってくればなにかの手違いで戦争になってしまうだろう。
『第4回星海社FICTIONS新人賞 編集者座談会』では「現実的すぎる」と評されましたが、まさにその点が本作の売りだと考えています。
「どこでもドアのガチな軍事利用」、これもまた一つの「男の子の夢」だと思うんですけどねえ。
与吉さんの「欠伸物語」シリーズより。
「蛇足物語」「百足物語」「針千本物語」「毬藻物語」「変態と偏屈の夢現」と続き、完結しています。
話ごとに後輩と先輩の視点を交互に繰り返す一人称小説です。
今回の絵はこれを読んでたら情景が浮かんだので描きました。
夏のイメージで描きましたが、読み返してみるとあんまり夏ってませんね。
日の照った夏よりこの二人には夜や曇りの暗がりの方がふさわしかったように思います。
ですが六月頃から始まって数ヶ月くらいはいちゃいちゃしてるっぽいので、どうせ夏もいちゃいちゃしていたでしょう。
互いを「先輩」「後輩」と呼び合っていますが、ところがどっこい、この二人先輩でも後輩でもない。
内容としては、ラノベタイトル風に紹介すると「もう院生なんだがJKといちゃいちゃするにはどうしたらいい?」みたいなお話です。
院生かどうかは僕の勝手な想像で、特に明記はされてません。
ただのニートかも知れません。
なんかラノベっぽく紹介しましたが、文体は古風な感じです。大正ロマンな感じです(適当)。
後輩だけでなく先輩もなんか妙にかわいいですね。いやむしろ先輩の方がかわいい……?
ざっと描いてボツったもの。
イメージは『百足物語』あたりで後輩が誘惑してるシーンですが、なんかしっくりこないのでボツ。
二人が立って歩いてるシーンがそもそもないですし、デートとか無縁そうなインドアラブですし。
単にうまいこと描けなかったのが一番のボツ理由ですが。
先輩の右腕がない? つまりはそのへんなんかがうまいこと描けなかったんですよ。
遺伝子技術の発達により同性生殖が可能となった未来。
y染色体を持たない女性同士の交配が繰り返され、次第に男女比は偏りはじめる。
「女性優位主義(スーパーフェミズム)」が政権を握ったとき、「男性の根絶」が同時に決定する。
男性の遺伝子は高度に隔離された実験室でのみ保管され、地上に残されたすべての男性に子孫を残すことを許さない。
だが、残された男性すべてに去勢手術を行うにはコストもかかり、人権上許されることでもなく、なにより結託と反乱の恐れがあった。
法により性行為や生殖技術を禁ずる場合もまた同様である。
そこで、政府はより穏便で合理的な解決策として男性の性行為を生殖目的以外に誘導する政策をとる。
すなわち、必要な男性には特別に訓練された女性「性処理係」を担当させる。
彼女らは性器を除くあらゆる部位――髪、口、手、胸、腋、太股、膝裏、足などの部位を用いてすべての精液を膣外に排出することで遺伝子を袋小路に追い込むのだ。
すべての男性に幸福な最期を――。
という設定を思いついたんだけど、これエロゲでやるとオチで政府に反逆して普通にセックスしそうで困る。
それが嫌だからこんな設定にしたんだよふぁっく!
強大な権力や時代の流れにただ屈するだけというMシチュを台無しにしてんじゃねえ!(シャドーボクシング)
いわゆる「本番なし」「オールコキプレイ」をテーマにしたエロゲでは『コキカノ~イカせて、心愛ちゃん!~』があったが、あれもラストでは……。
アレの場合は設定的に仕方ないよなーとは思いつつ。
と、常々思ってたんだけど「エロゲってエロに向いてないんじゃないか」説。
(※ここでいうエロゲはいわゆる実用目的の「抜きゲ」に限定)
もっというと、いわゆる「ストーリー」や「シナリオ」とエロは親和性が低いのではないか。
起承転結とか、展開の緩急とか、キャラクターの心情とか、幸せな結末とか、そういうのはエロにとって邪魔なだけなんじゃないか。
本当に必要なのか? 本当に求められているのか?
なんとなく慣習に従ってるだけなんじゃないのか?
かくいう僕は本編ガン無視でセーブデータ落として回想だけでエロゲやってたり。
たまには本編もやるかーと思ってもつまらなすぎて全スキップ。
エロなんてのは淡々とエロいことしてればいいだけで、変にストーリーとか盛り上げようとするから死ぬほどどうでもいい主人公の心中独白がだらだら流れたり。
もしかしたら単に脚本がつまらないのが問題であり、面白ければそれでいいのかも知れない。
しかし「面白い脚本を書く」というコストや制約を考えれば依然としてこの議論は適用される。
非現実的な妄想を形にしたものがエロゲなのに、「時間の流れ」という現実的要素を盛り込むと、どうしてもある程度はリアリティに気を配らないといけないし、プレイヤーとしても気になってしまう。
キャラの人格・人権上の問題だとか、社会的・法律的な問題だとか、食糧や住居などの生活費だとか、排泄とか。
そういうこと考えると萎えちゃうんですよ。本編で無自覚に無視されてるぶん余計に。
そのへんまじめに考えてクリアしてる作品ならまだしも、そんなことに労力を割くべきなのか。
もちろんその作品のテーマによるんですけど。
あえて徹底的にリアリティや実現可能性にこだわったエロゲとか。
理想は、ぶっちゃけると「台詞付きの同人CG集」みたいな形なのです。
個人の趣味嗜好、独断と偏見に過ぎないと自覚しつつも語らせてもらうと――
少なくとも音楽は要らない。
エロゲにおいて音楽を効果的な演出として用いてる作品は少ない。
音楽がksすぎてBGMはミュートにせざるをえない。
儀礼的にBGMをつけてるだけで本気で演出要素として考えてるのかどうか。
BGMが演出としてしっくり来た作品は僕の記憶ではかなり少ない。
(ここ最近まじめにエロゲやってないので的は外れてるかも知れない)
声も要らないです。よほどいい声でないかぎりマイナス要素でしかない。
しかし、声に関しては音楽と違ってミュートにもできない。
「ただウインドウで文字が流れる」のと、「一つの画面で情報が埋まっている」のとでは天と地ほどの差がある。
エロゲって画面内の情報が整理されすぎているがゆえにエロさが半減してる気がするのです。
履歴を見ることはできるとはいえ基本的に時間は不可逆。
プレイヤーによる時間の支配権は現実と同じように失われている。
そこまでリアリティが確立していながら声という聴覚情報がないとただ寂しい。
(メリクリも声があったらもっとキモくてよかったろうなーと)
ゆえにあの形式だと声は必要といわざるは得ないのだけれど。
問題なのは、ウインドウで文字が流れてひたすらクリックを繰り返すあのUI。どうにかなんないのか。
オートモードなんかもあるっちゃあるけど、「早く次!」ってがっついてるときは悠長すぎて。
自身で進行速度をコントロールできないメディアは嫌いなのです。アニメとか映画とか。
漫画とか小説とか台詞付きエロ画像はよい。
どこから読んでもいいし、読み返しも自由だし、一つの場面にずっととどまってもいい。
エロゲはそれができない。
必ずしもそれは欠点ではなく、「できないがゆえのよさ」というのもあるのかも知れないけれど。
仮にエロゲでそれが可能になるとしたら。
同じゲームでもRPGなんかで「時間の支配権が奪われてる」なんて感覚はないんだけどね。
「あ、セックス飽きたわ。帰る」とか途中でできればあるいは。
『人工少女2』だそれ! あるいは『人工少女3
ストーリーレスという点ではあのタイプの3Dエロゲもまた一つの理想形。
(そーいや『ジンコウガクエン
と、まあ、いろいろ考えて。
同人CG集みたいな形式の商業エロゲもあってもいいんじゃないかと妄想。
一連の流れとしてのストーリーは存在せず、回想がデフォ。
ストーリーがあったとしてもプレイヤーが行間を埋める形で想像するだけ。
あるいはどうしても気になるならとテキストファイルで前日談や後日談。
オチは存在せず日常の一コマを切り取ったような体裁。
こういう形式でつくれば低コストでかつ実用的な作品になるんじゃないかなーと。
これも作品のテーマによるけれど。
調教系なんかだと、たとえば「主人公が優雅にティータイムでくつろいでいる間、地下室に拘束されて放置されてるヒロインはどうしてるのかなー」みたいな想像を膨らませる要素として日常描写や一連の時間の流れはあった方がいいかもしれない。
でもオチに困るよねー。愛に目覚めるとかksすぎるし。
しかしUIに関してはどういう形がいいのか。
まんま同人CG集みたいな形式はさすがにどうなんじゃろとは思う。それこそ同人でやれよ。
コストや技術の点を考えると3Dエロゲは選択肢の一つとしてハードル高いかな?
衝突判定が未だに弱いのでコキプレイには向かないという難点もある。
このへんは僕には手が余るので保留として、要点は「起承転結のような一連の流れとしてのストーリーはいらない」という点。
(「ストーリーがいらない」というとあまり正確ではない。「ストーリー」という言葉の定義にもよるが)
エロ漫画は紙面が足りないせいで前置きもほとんどなく、オチもとってつけたようなもの。
エロゲはそのへん気にせずがっつり前置きや性行為以外のいちゃいちゃを描けるというのが対する利点といえばそうなのだろうけど。
必ずしもその利点を意識して有効に活用しているとも。
まじめにエロゲやってないですけどねー!
蛇足。
人工少女で思い出したけどこの記事の最初に書いた設定、性処理係をアンドロイドに任せるのもありかも知れない。
いや、その方が自然だ。それともコストがかかりすぎるか?
そんなこといったらお前、「特別に訓練された女性」という設定にそもそも無理が。
コスト面なら全男性の去勢よりかかるんでないかい!
昨日の昼頃我慢できずに投稿したこちらのおっぱいさん。
ポーズは例によって写真のモロパクリなので忘れた頃に強烈なデジャビュに襲われるかもしれません。
夏なので夏らしい絵を描こうと、ならそりゃあ水着だろうと、しかし普通の水着じゃつまらないなと、「エロくて特徴的な水着」はないかと、グーグル先生に手伝ってもらってざっと探しました。
水着って思った以上にバリエーションないですね。
主にビキニで探してたので、あのシンプルなデザインでは種類もそうそう思いつきませんが。
というわけで、今回は既成のデザインを組み合わせて適当にでっち上げました。
似たようなのはもっと探せば普通にあるとは思いますが。
さて、ついでですのでいろいろ調べていたなかで、他に「アリ」だと思ったものを紹介。
露出度の高い、あるいは被覆表面積の小さな、割とよく見るタイプのビキニ水着ですね。
ストライプ模様がよく似合い、デザインも美しいですが、ありきたりすぎるので今回はボツです。
この水着はかなりいいと思いました。
理由はもちろんパイズリ穴です。
第二候補ではありました。他に描くかも知れません。
モノクロだとちょっとわかりにくいですが、ストライプ模様ではなく物理的にストライプです。
実に卑猥なデザインの水着です。
平気で見えます。公共の場では着ることの許されないある種ファンタジーな水着です。
これもこれでよいかと思いましたが、少々下品すぎる感もあり今回は保留しました。
ところで、今回描いたこのキャラですが、実はこれで描くのは三回目になりますね。
前回はこれ。今回とコンセプトもだいぶ似通ってますね。
前々回はこちらです。
どれも夏っぽいですね。
そういうわけで彼女を「夏子」と名付けました。
デザイン的にこれといった記号的特徴もないので同一キャラであると気づいた方はいるのかどうか。
設定としてはこれで後輩キャラ(!)、おっぱいで誘惑してきます。素敵ですね。
しかし肝心のパイズリセックスがまだ描かれていませんね。いずれ描くかも知れませんね。
と、ブログを締めくくるでいたのに、つい先ほど見つけてしまいました。
たぶん、同一キャラでしょう。存在をすっかり忘れてました。
困ったことに冬です。しかもシチュが意味不明です。
当時、友人らから「なにを考えてこんなん描いたの?」とさんざん言われてましたが、僕からも一言いいたいです。
なにを考えてこんなん描いたの……
パイズリセックスRPG。
『幽獄の14日間』
リソース管理型脱出RPG。
『カリスは影差す迷宮で』
仲間を弱らせて殺す遺跡探索RPG。
『黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない』
探索ホラー風セクハラゲーム。
『英雄候補者たち』
特に変哲のない短編RPG。
『Merry X'mas you, for your closed world, and you...』
メタメタフィクションノベルゲーム。
「主人公補正」によって哀れにも敗れていくすべての悪役に捧ぐ。
『ドアによる未来』
「どこでもドア」はいかに世界に影響を及ぼし、人類になにをもたらすのか。




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