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あえばさんのブログです。(※ブログタイトルはよろぱさんからいただきました)
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writer:饗庭淵 2024-12-04(Wed)  
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『徳の起源』
writer:饗庭淵 2010-05-29(Sat) レビュー・感想・紹介 
われわれは人には道徳的であることを求めたがるが、自分ではなかなか道徳的な行動はとらない(中略)善良であれと他人に説教することは人間の強い本能であるが、それに従うことは本能ではない。
「道徳的である」ということは、すなわち「利他的である」ということだ。
そして、他者に道徳的であることを強制するのは「私に奉仕せよ」という意味であり、いうまでもなく利己的な行為である。
「他者に道徳的であることを求めること」と「自身が道徳的であること」は真っ向から矛盾する。
「道徳的である」ということは、要するに損なのだ。

さて、僕自身のことをいえば「道徳は矛盾だらけだ、嘘っぱちだ」などと信じているくちで、積極的に道徳的に生きようなどとは思わないし、同時に他者に道徳的であれと求めることもない(少なくともそう心掛けている)。
しかし一方で、「自分にできないことを他人に求めるな」という道徳も存在するはずだ。
となると、道徳という概念を嫌い、一定の距離をおきたいと願っている僕も、やはりそういった他者の強制に従って生きていることになる。
いくら僕が自らの自由意志で決定した生き方だ、などと主張しても、その根底にはやはり他者からの強制・視線が前提にある。

ならば、最も非道徳的な生き方とは「他者に道徳的であることを求めつつ、自分では一切道徳的であろうとしない」という無責任な説教家、すなわち人間の本能そのままの生き方ではないか。
一番賢いのは、一番得をするのは彼らではないか?
だが、他者に求めつつ自分で実践しないものは、やはりそのことで非難されるだろう。
囚人のジレンマにおいて「しっぺ返し(お返し)」戦略の強さはそこにある。
自らが道徳的であるかのように振る舞うのは、信用を得るための手段でもあるのだ。
ただし、それは彼の同一性が保たれている場合に限られるし、「他者に道徳性を求めることで得られる利益>非難される不利益」であるならば、彼はそれ以降も無責任な説教家を続けるだろう。
実際に道徳的である必要はない、そう見えるよう無知なお人好しを騙せればいいのだ。

現実は囚人のジレンマほど単純ではない。
関係は一対一とはかぎらないし、進化的拘束とその利用、なんでもありだ。

この複雑なゲーム場で、われわれはいかに生きていけばいいのだろう?




「他人をおもいやる遺伝子」ってなんだYO!
この邦題はひどい。
ちなみに原題は"The Origins of Virtue: Human Instincts and the Evolution of Cooperation"

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饗庭淵
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読みは「あえばふち」だよ!
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