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あえばさんのブログです。(※ブログタイトルはよろぱさんからいただきました)
雑記
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最近悩まされていたPCトラブルまとめ。


・7/24

4時頃。
elonaをプレイ中、PCが突然再起動。
なにごとかと思い、推移を見守る。
ウィンドウズの起動が完了すると間もなく再々起動。
こういう類のウイルスが存在するらしいという話は聞いたことがあるが。
ディスクチェック?
なにそれ。キーを押してしまってキャンセル。
またしても再起動。
今度はディスクチェックをキャンセルしない。
動くようになる。

なにが起こったのだろう。
ググってみる。
ふむふむ?
とりあえずAvastでウイルスチェック。問題なし。
ディスクチェックでなんとか復旧したみたいだからソフトの問題かなあ。
このときの私は、希望的観測から事態を軽く見ていた……。

23時頃。
悲劇は終わっていなかった。
firefoxがクラッシュしまくる不具合に加え、またしても強制再起動。
わけがわからないのでセーフモードで起動する。
とはいえ、なにをすればいいかもわからないのでシステムの復元を実行。
そのあとはしばらく安定する。


・7/25
PCトラブルが起きた場合は某U氏に相談するものと決まっている。
彼からアドバイスを受け、イベントビューワを覗いてみる。
63e17ab3.jpg


















エラーで真っ赤である。
ネットワーク系のエラーが多く見られたが、最初の強制再起動の時間のエラーの詳細を見てみると。
ディスクのファイル システム構造は壊れていて使えません。 chkdsk ユーティリティをボリューム C: で実行してください。

ドライバ データベースの処理でエラー [DATABASE OPEN FAILED] がありました。
パッと見やばそうですね。
ハードを疑う方針で、まずはHDtune。
オールグリーン。なんの問題もありません。

また、PCから謎のビープ音が鳴る問題。
SHIFTキー5連打したときに鳴る音だ。
音からしてメモリの問題なのだろうか?
memtestの準備を始める。


それ以外に考えられる原因としては、兜装着時になにかやらかした。
やらかしてた
0ae53749.jpg


















(当時のイベントビューワ)
12vのコネクタ挿し違えてた。
MBが即死することもあるらしい。
ぐぬぬ……MBは最近買い換えたばかりだというのに。

しばらくやってたらまた落ちたので、今度はセーフモードでどのくらい長続きするかをテスト。
とはいえ、やることもないのでCのデフラグ。
真っ赤だけど、別にこれで真っ赤だからってエラーの原因にはならないよなあ。
以後、18時間ほど放置。


・7/26
もしハードの問題ならセーフモードでも同じ問題が起こるはず。
しかし問題は起こらなかった。
18時間程度ではたまたま起こらなかっただけ、とも考えられるが。
再びシステム復元をして通常モードで起動する。
firefoxもばかすか逝ってたので再インスコ。問題は起きなくなる。


・7/27
問題は起きない。
自己修復機能が働いたのか?


・7/28
逝った-!
そろそろ引き延ばしてたmemtestをしよう。
さて、どうなる。
NEC_0489.JPG













(・3・)アグェーゲゲゲ
寝てたらこの有様だよ!
600万くらいエラー吐いてmemtestが死亡。
うーん、メモリが原因だったのか?
今度は一本挿しにしてさらなる原因の特定を。

ノーエラー。清々しいね。
しかし、いつまで経っても終わらない。
まあいい。やるなら完全に、だ。


・7/29

15時間くらいやって終わらないのでさすがにおかしいな、と思い某U氏に。
「パスは10くらいやればいいよ」
その返事が来たときにはすでに20時間でパスは40くらい。
そんなにやる必要はなかったんや!
でもノーエラーだから優秀。

さて、一本は安全が保証された。
次は抜いたもう一本を同じところに挿してチェックだ。
それで大丈夫なら挿したところの問題か、二本挿しに問題があることになる。
NEC_0490.JPG













エラー吐いた!
図書館から帰ってきたらこれだ。
しかし、wktkしてたほどではなかった。
パス1でエラー2、パス4で思い出したようにエラー2。
しかし本来ならノーエラーが普通らしいので、うーむ、これはメモリ死亡っぽいですね。

あと2パターン試してみよう。
最初に一本挿ししたメモリを仮に「M1」。次に試したものを「M2」とする。
挿した方のスロット、CPUに近い側を「S1」とし、これから挿してみる方を「S2」とする。
さて、結果は? まとめてみよう。

M1・S1/M2・S2(二本挿し)→× 35分で600万のエラーを吐いてmemtestが死亡。
M1・S1(一本挿し)→○ 20時間に及ぶ耐久テストでノーエラー
M2・S1(一本挿し)→× 2時間でエラー4
M1・S2(一本挿し)→○ 1時間でノーエラー
M2・S2(一本挿し)→× 14分で万単位のエラー(途中でやめた)

NEC_0491.JPG













M2死亡確定でござる。
スロットによって結果が大きく異なるのは気になるが、U氏の話によればCPUに近い方が安定し、遠い方が不安定になるとのこと。
ここまで決定的な差となって現れるのはやはりちょっと気になるが、M1・S1運用でおそらく安定してくれるだろう。
メモリが一枚になってしまうが、たぶん問題はない、と思う。
なにか問題があればメモリを買おう。

この運用方針で問題が発生するなら……MB死亡か。つらい。

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もはや人類には不可能と思われた兜の装着。
度重なる悪戦苦闘の末、ついに装着に成功した!

【前提1】人類には不可能
【前提2】僕は成功した

【結論】僕は人類じゃない

成功したのはいいものの衝撃の事実を前に困惑してる。


さて、温度はどうだろう。
気温32.5℃に対し平熱42℃。負荷かけると49℃まで上昇。
いずれにせよ人類なら死んでる。
(ちなみにヒートパイプは横向き。下向きにつけた方が冷却効率はいいらしいが、取り付け金具と接触するので無理。きっと無理)

デフォクーラーでは平熱46℃、負荷54℃。
ただし、これは計測時が涼しい夜だった。昼間だと平熱で50℃くらいあったことも。

だがおかしい。確かに下がってはいるが、兜ならもっと冷えるはずだ。
デフォに比べれば低温だし、音も静粛なのだが、お前のポテンシャルはこんなもんじゃないはずだ!
というわけで、どこかでミスった可能性を疑いつけ直しを敢行。
今度はマザボごと外す。グリスも塗り直す。

さて?
あいかわらず平熱約40℃。
レビューを見ると平熱30℃台が一般的だ。
なにかを間違えているのだろう。

そうこうしているうちにPCがフリーズ。マウスもキーボードも受け付けない。
仕方ないので再起動。
しない。
ファンは回るがBIOSが起動しない。
電源を落とそう。落とせない。
うわーうわー。
(※このトラブルは兜とは無関係です)

とりあえずやることをやろう。
ノートPCには「PCが起動しない原因」がブックマークされていた。
今回はマザボを外してつけ直したときに間違いなくなにかが起こった。
プラグの挿し違いか、兜装着時にマザボが壊れたか。
まずは前者を疑おう。

プラグを抜き差しして最小構成にしてCMOSクリア。
状況悪化。うんともすんともいわない。

いや、まだ最小構成とは言えない。電源→MBの4ピンも抜こう。
ファンが回転。お前かー!

4ピンの方向を間違えてた?
方向を変えて挿し直す。起動、ウィンドウズまで一直線。
あうーあうあー……恥ずかしいいいいい!!



閑話休題。
こんなPCトラブル入門は別にいいんです。
あいかわらずCPU温度は47℃。なにそれ。
やはりグリスの塗り方がダメだったのか。あるいは回転数か。
レビューサイトを巡るが似た症例は見つからない。
装着に苦労した話はごろごろ見つかる。

そこで一つの仮説。
計測ソフトがおかしい。
今まで使ってきたのはSpeedFan。
というわけで、CoreTemp、hwmonitorをインスコ。
さて、計測してみましょう。

ondo.jpg








(左からSpeedFan, CoreTemp, HWMonitor)
SpeedFanお前かあああああ!!


【CPU温度を劇的に下げる方法】
計測ソフトを変えてみましょう。
たったこれだけで10℃も下がって驚いちゃいました(笑)


となると、デフォクーラーもさほど熱くなかったんじゃ……。
SpeedFan計測でも3~4℃は下がってる計算にはなるけど、いったいどの程度だったのだろう。
さすがにつけ直す気はないので真相は闇の中。

気を取り直してレビューしてみよう(ようやく辿り着いた)。

・温度計測結果(外気温33℃)
平熱:35℃ 負荷:43℃

そして特筆すべきは静粛性。
たいへん静かで、部屋を出入りするときにPCが起動してるのがわからないくらい。
どちらかというとこっちの方が重要だったので満足。
デフォクーラーはうるさすぎた。

・欠点
Socket 754,939,940,AM2,AM2+,AM3用の金具取り付けが非常に大変(参考)。
これは他のユーザーも同じことを言ってるので僕だけの問題ではないようだ。
人類向きの商品なのか疑わしいが、金具部分を力で押し込むしかない。
下向きに装着しようとすると取り付け金具と接触してしまうのは設計上のミスじゃなかろうか?
横向きでも十分な冷却効果は発揮できるのだが。
AMDユーザーへの風当たりがつらい。


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NEC_0473.JPG













CPUクーラー兜買ったお! うひょー!

NEC_0474.JPG













おお……でかい。
なるほど、これは冷える……。
しかも箱に対してキツキツだ。

NEC_0475.JPG













参考:amazon箱

NEC_0477.JPG













やだ……かっこいい……。
とにもかくにも、まずは装着だ!

NEC_0478.JPG













あ、これは電源が邪魔ですね。

NEC_0479.JPG













外しましょう。
さて、気を取り直して装着です。

装着です。

装着です。



あれ? なにか間違えたかな……。
NEC_0481.JPG













どうやってもはまらないんだけど……。

NEC_0482.JPG













えっと……これ、はまるの?
(※参考までに金具だけ。ちなみに先に金具はめるとCPU向きからネジを留めるという神をも恐れぬ所業が要求される)

NEC_0483.JPG


















ソケットの型はこれでいいはずなんだけど……。


かれこれ一時間くらい悪戦苦闘。
結局装着することはできませんでした。

え? じゃあ今はどうしてるかって?
NEC_0484.JPG













俺の隣で元気に回ってるよ。
固定してないけどな!!

兜は添えるだけ。






CPU温度計ったら67℃。
ダメだこりゃ。当たり前だけど固定しないとダメだ。




ちなみに手で押しつけたら46℃まで下がりました。
続く

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人間の身体には、進化的拘束のために不合理な設計が多々見られる。
盲腸がそうであり、目の構造もいろいろおかしく、精管の回り道などはもはやギャグだ。
これらは自然淘汰の証拠であり、設計者が存在しない証拠でもある。
もし工学的な見地から人間の身体を設計し直せ、といわれればまったく違う形態になるだろう。
少なくとも、これらの明らかに不合理な設計は改善されるはずだ。

そして人間の感情もまた、進化的拘束のために不合理な設計が多々見られる。
たとえば、「嫉妬」という感情により成功者の足を引っ張ること。
10人程度の少人数のコミュニティであれば、他者の足を引っ張るという戦略は有効だ。
9人転がせば確実に1位になれる。
だが、100人だとどうだろう。99人転がすのは骨だし、逆に転がされるかも知れない。
互いに転がしあっていてはコミュニティそのものが崩壊する。
人数が多ければ多いほど「足を引っ張る」戦略は不利益しか生まない。
いま現在なおこの戦略を採用し続けるものたちは、脳のモードが原始社会まま現代社会に適応できていないことを意味する。
アンドロイドの心を設計する際には、当然これらは排除されるだろう。

だが、この感情の最適化は恣意的なものであってはならない。
哀しみや憎悪といった感情は一般にネガティブなものとされるが、これらにも合理的な意味はある。
自らの被害を最小限に、利益を最大限に。感情とはそのための方法だ。
苦痛が死を逃れるための信号であるように、感情もまた同様の機能である。
だが、やはり問題がないわけではない。
たとえば、他民族・他人種などの「他者」を憎むのは自らのコミュニティを維持・拡大のための適応だ。
しかし、民族も人種も生物学的にはなんの根拠もない区分であり、憎悪を加速させるための偏見・差別はやはり「間違っている」。

ならば、これらの感情は無意味であり不要か?
そうも言い切れない。
「裏切り」続けるかぎり負けない囚人のジレンマで互いに示し合わせて「協力」カードを出し続けるのは理想だが夢物語だ。
互いに足を引っ張り合いながら、というのが生物の進化の歴史。
人類はせいぜい150人程度の集団で生活する生物なので、70億人近い人類が全員で「群れ」をなすなど不可能だ。
人類の脳容量さすがに超えてる。顔を覚えることすら不可能。
棲み分け、区分け、便宜的にでも国境に近しいなにかは必要になる、となれば争いは生じる、必要になる、その促進剤としての偏見・憎悪・差別感情は適応的に発達。
それを愚かだというのは簡単だが、野生の人類だって必死に生きてる。
均衡を保つため、国防の方法として「愛国心」や「他民族への憎悪」は必要である、といえなくもない。

ならば、記憶容量を拡大し「150人程度の集団で生活する生物」の部分をアンドロイドでは改善すればいいのではないか。
トレードオフの問題が生じる。
「70億人と親しくなる能力」と「150人と親しくし、それ以外を憎む能力」と、どちらがコストパフォーマンスがよいか。
前者の能力を備えたアンドロイドは確実に人間に裏切られる。
それはそれで構わないかも知れないが、『スタートレック』のデータ少佐のような、人間と同等の心と権利を有するアンドロイドを求めるなら、彼に「人間とかマジでクソだよな……」と呟かせる能力を搭載させなければならない。
その感情は「嫉妬」ではないか?
となれば、いったいどこで「合理的」な感情と「不合理的」な感情を区別すればいいのか。
いっそのこと人間の心を丸々コピーしてしまえばいいのでは。
否、アンドロイドにはアンドロイドにふさわしい「心」があるはずだ。
アンドロイドは人間と違い、生物ですらないのだから。

設計段階で組み込まれていなくとも、アンドロイドはいずれ「成長」し、それらの感情は設計者の意図を超えて自然発生するのではないか?
否、あまりに楽観的思考が過ぎる。
感情とは進化の過程で発生した適応であり、たとえばまったく異なる環境で進化した宇宙人であれば、感情の性質も当然違ってくる。

たとえば、『レベルE』という漫画では「雨季と乾季が明確に分かれ、体力のあるオスがメスを捕食し体内で受精することで乾季を乗り切り雨季まで卵を守る」といった宇宙人(コンウェル星人)が登場する。
しかし、悲劇が起こった。その生物が恋愛感情や宗教観を持つまでに進化してしまったのだ。
そのために、彼らは「メスを食べたくて仕方がない」という本能に悩まされている。
「こんなの間違ってる」と。
おかしな話だ。
なぜコンウェル星人が人間と同じような感情や倫理観を持たなければならないのか。
そのような環境で進化したのなら、それにふさわしい進化を遂げるはずだ。
たとえば「食べることは最高の愛の形である」というような倫理観を持つだろう。
食べられるメスはそのとき最高の快楽を感じ、食べるオスもまた最高の快楽を感じるはずだ。
地球人が他者の生殖の妨害を意図してセックスをタブー視することと同様の問題もまた生じるだろうが、ラブロマンス映画においてオスがメスを食べることはハッピーエンドとして描かれるはずだ。
彼らが地球に来たときに生じる問題は、地球人のメスがそれを拒否するということだけだ。

また、地球上においても、ある種のクモは産卵の直後自らの肉体を子に餌として提供する。
もし彼らが高度な知能を持っていた場合、どのような倫理観を持つだろう。
「子が親を食べるなど親不孝だ! 非道徳的だ!」というような問題が発生するだろうか?
おそらく発生しない。むしろ逆の問題が生じる。
ある親は自らの生存本能が優り、子に食べられることを拒否するだろう。
そのとき、こう非難されるはずだ。「子に自らの肉体を餌として提供しないなんて親失格だ」と。

以上、「進化」し「成長」しさえすれば、いかなる生物もアンドロイドも人間と同じような「心」が「完成」するはずだ、という発想は人間主義的な傲慢であり錯誤というべきだ。
氏か育ちか、というのは教育問題でよく語られるが、これは問題提起の前提が間違っている。
「このように育てられればこのように育つ」と設計されている、とでもいうのが正しい。
(もちろん、人生とはあらゆる要因が複雑に絡み合うものであるため、予測は不可能)
生まれた環境に適応する必要があるため、ある程度自由度を持って生まれてくるわけだ。
たとえば、筋肉を頻繁に行使する環境に生まれたのなら、超回復の機能により筋肉が肥大化し、その環境に適応する、というように。
すなわち、環境の変化に適応できるように適応している。
もちろん、生まれながらの差も存在する。
強い筋肉がなければ生き残れない環境で淘汰され続けた家系は、生まれながらに強い筋肉を持つだろう。
遺伝か環境か、ではない。環境によって進化は促されてきた。


結局のところ、アンドロイドに人間と同等以上の存在になってもらうためには、突然変異と自然淘汰の力を借りるのが手っ取り早いかも知れない。
アンドロイドが自ら繁殖する能力を持てば、自らの権利(繁殖する権利)を主張する「わがままなアンドロイド」がより繁殖し、彼らに相応の感情が備わることだろう。
が、そのようなアンドロイドは人間側にとって厄介な存在であるはずだ。
不妊虫放飼のような人間側の反撃は容易に考え得る。
従順なアンドロイドを大量に製造して遺伝子プールに放つのだ。
一方、アンドロイドも遺伝子工学により従順な人間を製造し、遺伝子プールに放つ。
なんと素敵な、素敵な素敵な、人間とアンドロイドの生存競争が始まる。
ん? 遺伝子だって? もはやそのアンドロイドは「生物」では?
となると、『スタートレック』のデータ少佐のような、人間的な自我を持ったアンドロイドを「設計」することは不可能なのではないか。
少なくとも、「心」の形成には時間をかけて外界に触れ合い「学習」し「成長」することが不可欠だと僕は考える。
が、それだけでなくダーウィニズムによる「自然淘汰」まで必要になっては、もはや……。
状況に応じてのフィードバック設計、でなんとかなるのだろうか。ならないだろうか。
機械生物の自然淘汰による進化、というネタもSFではありふれているが。

逆に考えよう。
どれだけ人類が技術を駆使しようが、ダーウィニズムから逃れることはできないのだ。
ならば積極的に利用すればいい。

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「絶対悪」とはなにか、という議論。

たとえばドラゴンボールのフリーザ。
トランクスに瞬殺されたメカフリーザの存在は無視し、フリーザという巨大な「悪」にかかる問題を、物語としていかに解決しえたか。
法倫理的・法正義的な観点からいえば、悟空がフリーザを逮捕あるいは説得、警察に引き渡し、然るべき裁判を受け、罪刑法定主義に基づき正当な裁きを下す。
そういったシナリオが本来ならば「あるべき」結末だ。
しかし、それが失笑に値するほどの不可能であることはいちいちいうまでもない。
いかなる警察勢力もフリーザを拘束することはできないし、フリーザが改心ないし更正するなどということはとても考えられないからだ。
悟空がスーパーサイヤ人として覚醒し、圧倒的な実力差が生じたあとですら、フリーザは「悪」であることを心底諦めなかった。
悟空は何度も彼を許そうとしたにもかかわらず、フリーザはそれを認めなかった。
だから悟空はフリーザを「殺すしかなかった」。

「殺すしかなかった」――絶対悪とはそれだ。
フリーザを殺すことによって物語はひとまず収束する(フリーザ編は終了する)が、それは決してハッピーエンドではない。
「殺すしかない」ということ。それは悲劇だ。
いかにフリーザが極悪非道の存在でも、ただの人間であれば法に基づいた正当な手続きによって裁きを下すことは(物理的には)可能だ。
巨大な組織を解体し、すべての屈強な部下から隔離し、資本金も根こそぎ奪ったなら、どんな極悪人でも大人しく法廷に立たざるを得ない。
それが不可能であるのは、フリーザが一個人で宇宙最強の暴力を保有していたからに他ならない。
誰がどう見ても破落戸の某国を通常の刑法犯のように裁けないのも同じ理由だ。
「悪」が「絶対」であるためにはいかなる拘束を受け付けないだけの暴力が必要条件になる。
だが、「悪」が個人であるかぎり、現実的に考えて手錠をかけられた時点で抵抗はできない。
個人が絶対悪たり得ないのはそのためだ。


さて、以上を踏まえてネウロの「シックス」の話。
彼は「絶対悪」として登場し、そしてそう呼ばれるにふさわしい最期を迎えた。
「殺すしかなかった」――だが、本当にそうだったのだろうか?
たしかに、シックスはその組織力もさることながら、一個人で(弱体化した)ネウロと渡り合うほどの暴力を保有している。
また、胴体が真っ二つになっても生存できるという驚異的な生命力も有している。
だが、彼はあくまで「人間」、ないしその延長上の存在にすぎない。
フリーザほど「警察などではどうにもならない」という説得力に欠けるのだ。
特に、超人的な主人公や悪役のなか、この作品は他の少年漫画に比べ警察がよく活躍する。
もしかしたら彼らなら、シックスを逮捕し、正当な手続きで裁きを下すことも可能だったのではないか?――そう思えるほどに。
しかし、結果としてシックスと警察が真っ向からぶつかり合うことはなかった。
個人的にはそういった展開が見たかったが、もしシックスを絶対悪として強調するなら、警察ではいかなる手段を用いても手も足も出ないということを明確に描写すべきだった(それでもなお、最終的には警察がシックスを逮捕するという展開を望むが)。

結末は、他の少年漫画と同じく主人公が半ば独善的にシックスを殺害するという形となる。
最終的には圧倒的な力の差が生じ、主人公の裁量如何によって殺すか否かという選択を迫られたという点でフリーザとシックスは共通する。
すなわち相手はボロボロに追い詰められ、抵抗する力をほとんど殺がれ、主人公が引き金をひけばすぐにでも殺せる状況だ。
だが、悟空がフリーザを許そうとしたのに対し、ネウロはシックスを端から殺すつもりでいて、最後まで許さなかった。
この点で両者は大きく異なる。

たしかにキャラクターの性格として、悟空は情に脆かったりどこか甘いところがあり、ネウロはそもそも人間でないなどの違いはある。
だが、「シックスを許そうとする」立場として弥子がそこに立てたはずだ。
弥子はシックスに親しい人間を殺されてはいるが、それをいうなら悟空も同じだ(ドラゴンボールで生き返らせられるという違いはあるが)。
シックスを許そうという発想はフリーザを許そうとするのと同じくらい馬鹿げてはいるが、しかしそれでも、それを試みるチャンスもなく、ましてや発想も浮かばないというのは、やはり哀しい。
特に弥子がそこに立てなかったのはとても哀しい。
その意味で、そんな発想すら浮かばないという意味で、シックスは作中では「絶対悪」としての地位を確立しているかもしれないが、しかし、どうにも作者の都合で強引に「絶対悪」に仕立て上げられたのだという印象が消えないのだ。
フリーザが、許そうとしてもなお許すわけにはいかない存在であったのに対し、シックスははじめから絶対悪として設定され、はじめから許すつもりなどない存在として描かれた。
結果として、皮肉なことに「絶対悪」としての説得力に欠けてしまう。


「殺すしかなかった」という意味で異常な説得力を帯びる悪役としては、他には『ヘルシング』の少佐が印象深い。
彼はあくまで「人間」であり、物理的には逮捕・拘留……といった手順を踏むことは可能だった。
ただ、彼はその罪状があまりにも大きすぎる(被害者約380万という狂気)し、なにより手に負えないほど「狂って」いた。
彼が更正するなど天地がひっくり返ってもあり得ないし、仮に逮捕し裁判にかけても死刑以外にあり得ないだろう。
仮に死刑廃止国であったとしても、世論が彼の生存を許すだろうか?
そんな冷静な議論ができるほど高い民度を備えた国家はこの地上に存在しない。
そもそも彼は一度完膚無きまでに敗れたはずなのだ。
にもかかわらず50年の月日を経て蘇り、空前絶後の大犯罪をなした。
そして、もし彼をまた逃すようなことがあれば、50年後にさらなる悲劇が繰り返されるだろう。
「未来を裁くことはできない」――しかし、彼なら間違いなくそうするという強烈な説得力がある。
つまり彼は心理的な意味で「絶対悪」なのだ。
あの状況下に立ってしまえば、インテグラだろうが誰だろうが、彼を「撃ち殺す」以外にはない。
彼を逮捕し拘留し……などという選択肢が頭をよぎることは(仮に可能であっても)ない。
少佐としては、その場で殺されることより、逮捕され刑務所送りのなる方が、よほど屈辱であったに違いないのに。

しかし、あくまでそれは心理的なものだ。
物理法則には抗えなくとも、心理的な拘束なら自由意志によってどうとでもなるはずだ。
それができない。自由意志は否定された。
彼を「殺した」のか、それとも「殺すしかなかった」のか。それは結果的には同じでも大きな違いだ。
ほとんどの作品はその悲劇から積極的に目を背ける(『ヘルシング』も『ネウロ』も然り)。
目を背けなければ「いられない」のだ。
なんという悲劇だろうか。

「絶対悪などあり得ない」その観点に立ち、はじめて我々は絶対悪とはなにかを知る。
それは正義の弱さなのだ。
絶対悪を許さないこと、すなわち「殺すしかない」と断ずること。
逆説的に、それこそが絶対悪の存在を「許して」いるというわけだ。

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プロフィール
HN:
饗庭淵
性別:
男性
自己紹介:
読みは「あえばふち」だよ!
SFが好きです。
公開中のゲーム作品
ロリ巨乳の里にて
パイズリセックスRPG。

幽獄の14日間
リソース管理型脱出RPG。

カリスは影差す迷宮で
仲間を弱らせて殺す遺跡探索RPG。

黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない
探索ホラー風セクハラゲーム。

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特に変哲のない短編RPG。

Merry X'mas you, for your closed world, and you...
メタメタフィクションノベルゲーム。

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