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ノベルゲームにおけるストーリー分岐について
writer:饗庭淵 2010-04-26(Mon) 雑記 
ツイッターがあるとブログ更新しなくなるね!
もともとあんまりしてなかったし、というかブログ開設の段階でツイッターは始めてたけど。
ツイッターは140文字という制限とすぐ流れるという特性上、無責任で適当な発言を気軽に書ける。
一方で、ブログはある程度の長文をまとまった形で書けるし、結構残る。
よって、あまり無責任な文章を書けない、ゆえにあまり書かない、という現象に陥る。
無責任というのは、説明不足だったり研究不足だったりする内容ということ。
ブログはなまじ長文が書ける分、こうやって「無責任」という言葉をどういう意味で使っているかまで注釈しないといけない。
ツイッターでの発言もできるだけフォロワーに理解できるようにしてるつもりだけど、どうしても要約した内容になるからぶっちゃけ「なにいってんだこいつ(´・ω・`)」ってなってるとは思う。
とまあ、ツイッターとブログの比較なんて腐るほどされてるだろうから、僕がそういう認識を持ってると、それだけ。


以下、本題。

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漠然とノベルゲームでなんか次回作つくりたいなーと思っているのだけれど、メリクリは完全な一本道でゲーム性なんて欠片もなかった。
だったら次回は少しくらいゲーム性を持たせてみようかなーと思いつつ、問題が。
ノベルゲームにおけるゲーム性といえばやはり選択肢、そしてストーリー分岐。
だけど、僕はこの「ストーリー分岐」というものについてどうにも釈然としない思いがある。

たとえば、主人公がある選択を迫られるとして、AとBどちらを選ぶかはその主人公の自由意志に委ねられる。
しかし、その自由意志というのはその一瞬だけのものではなくて、彼が生きてきたそれまでの人生の積み重ねが大きく関わってくる。
あるいは社会的な立場、そのときの環境、身体・心理状態など様々な要因に左右される。
いわば、予測不能だけど決定論的な「運命」というものを僕は信じているというわけだ。
つまり、それは主人公が今まで生きてきた証、過去が無意味ではないという確信、現在もまたすぐに過去となるわけだから、今を生きる勇気となる。
よく「運命を変える」だとか「運命に抗う」などというコピーを見るけど、僕は「運命」というものを否定的なものではなく肯定的なものとして考えている。
「運命」とは未来ではなく過去をさす語であり、過去は変えられないから。
あのときああすればよかった、こうすればよかったという後悔も、運命を信じればこそ乗り越えられる。

でも、選択肢の存在は、主人公の人生など知ったこっちゃないプレイヤーという部外者によって恣意的に選択され、主人公の運命を左右してしまう。
「どうせセーブ&ロードすればいいや」という無責任な選択で。
ノベルゲームといっても念頭に置いているのはギャルゲやエロゲ(面倒なので以下エロゲで統一)だけど、この場合はヒロインがメインで、主人公は装置でしかない。
プレイヤーがいかに感情移入できるか、すなわちプレイヤー=主人公という一体感のための装置だ。
そのため、多くのエロゲでは主人公は意図的に無個性化されている。
選択肢も、プレイヤー各々の趣味嗜好に配慮した、一体感のための装置だろう。

だけど、それは違うと僕は思う。
これは僕自身の感性の話でしかないけど、それまでの人生を感じられない主人公には感情移入もできないし、ましてや一体感など得られるはずもない。
というより、どうあっても主人公とプレイヤーは別物でしかない。
RPGなら、主人公を無個性化すると同時にシナリオをある程度排除することも可能なので、「プレイヤー自身が物語をつくる(想像する)」ことによって一体感を得ることは可能かもしれない。
だが、ノベルゲームでシナリオを排除することはまず不可能。代わりにストーリーを排除する。
すなわち主人公の人生を、だ。
「シナリオなきストーリー」はあり得るが、「ストーリーなきシナリオ」はいかに?
後者はギャグ漫画なんかがそうなんだけど、エロゲの主人公は女の子との恋愛に人生賭けてるんだよね。
そのせいで、感情移入すればするほど「お前の人生ほかにすることないの(´・ω・`)?」という疑念が湧き上がってしまう。

と、ここまで書いて
すげーいいこと考えた。主人公は女の子と口説き落とすために開発されたイケメンロボットで、AIが判断に困ったとき選択肢で指示を出すっていう設定なら、多くのエロゲに感じていた主人公の不気味さが説明できる
というツイートに至る。
主人公がヒロインを口説き落とすためだけの装置に見えるというなら、まんまそう設定してしまえばよかったんや!

エロゲの実況プレイなんかがまさにそうだと思う。
プレイヤーも、プレイ中は割と本気で「○○ちゃん可愛い!」とか「ふられた(´;ω;`)」などとやっているわけですが、当然ながら彼には彼の人生が別にあり、ゲームプレイはそのなかでの単なる娯楽にすぎず、作中の女の子を落とすことはライフワークでもなんでもなく、ただの遊びでしかない。
その距離感があるから、エロゲそのものは楽しめなくてもエロゲ実況は楽しめる。
つまりは「主人公は女の子と口説き落とすために開発されたイケメンロボット」という状況が完成している。
(あらやだ、このアイデアでなにか書けるかも……)

閑話休題。
話が逸れに逸れまくったけど、ストーリー分岐が釈然としない理由はおわかりいただけましたでしょうか(´・ω・`)
つまりは運命的でないからですね。主人公の人生が踏みにじられてかわいそうだからですね。
(「かわいそう」というのはある意味で感情移入の結果。上から目線だけど)

たとえば、ストーリー分岐のある作品でヒロインが死んでも、他に生存ルートなんかがあるとなんの感慨も湧かない。
ヒロインが死んだのは間違いで、その選択をした主人公は否定される。
それがなんとも哀しい。ヒロインが死ぬことよりも。

とはいえ、すべての作品のストーリー分岐を否定するわけではない。
たとえば『魔法少女アイ2』なんかはむしろバッドエンドがご褒美みたいな作品で、「BADEND」と表示されるまで選択が間違いだったことがわからないのですごく緊張感があって面白かった。
他にも、選択肢やストーリー分岐をうまく活用している作品はいくらでもあるだろう。
ただ、僕にはそういう作品をつくるのはちょっと無理かなーという話。
このへんは前々から悩んでいる問題なので、いつか打開策を見つけたい。
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