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絶対悪
writer:饗庭淵 2010-12-14(Tue) 雑記 
「絶対悪」とはなにか、という議論。

たとえばドラゴンボールのフリーザ。
トランクスに瞬殺されたメカフリーザの存在は無視し、フリーザという巨大な「悪」にかかる問題を、物語としていかに解決しえたか。
法倫理的・法正義的な観点からいえば、悟空がフリーザを逮捕あるいは説得、警察に引き渡し、然るべき裁判を受け、罪刑法定主義に基づき正当な裁きを下す。
そういったシナリオが本来ならば「あるべき」結末だ。
しかし、それが失笑に値するほどの不可能であることはいちいちいうまでもない。
いかなる警察勢力もフリーザを拘束することはできないし、フリーザが改心ないし更正するなどということはとても考えられないからだ。
悟空がスーパーサイヤ人として覚醒し、圧倒的な実力差が生じたあとですら、フリーザは「悪」であることを心底諦めなかった。
悟空は何度も彼を許そうとしたにもかかわらず、フリーザはそれを認めなかった。
だから悟空はフリーザを「殺すしかなかった」。

「殺すしかなかった」――絶対悪とはそれだ。
フリーザを殺すことによって物語はひとまず収束する(フリーザ編は終了する)が、それは決してハッピーエンドではない。
「殺すしかない」ということ。それは悲劇だ。
いかにフリーザが極悪非道の存在でも、ただの人間であれば法に基づいた正当な手続きによって裁きを下すことは(物理的には)可能だ。
巨大な組織を解体し、すべての屈強な部下から隔離し、資本金も根こそぎ奪ったなら、どんな極悪人でも大人しく法廷に立たざるを得ない。
それが不可能であるのは、フリーザが一個人で宇宙最強の暴力を保有していたからに他ならない。
誰がどう見ても破落戸の某国を通常の刑法犯のように裁けないのも同じ理由だ。
「悪」が「絶対」であるためにはいかなる拘束を受け付けないだけの暴力が必要条件になる。
だが、「悪」が個人であるかぎり、現実的に考えて手錠をかけられた時点で抵抗はできない。
個人が絶対悪たり得ないのはそのためだ。


さて、以上を踏まえてネウロの「シックス」の話。
彼は「絶対悪」として登場し、そしてそう呼ばれるにふさわしい最期を迎えた。
「殺すしかなかった」――だが、本当にそうだったのだろうか?
たしかに、シックスはその組織力もさることながら、一個人で(弱体化した)ネウロと渡り合うほどの暴力を保有している。
また、胴体が真っ二つになっても生存できるという驚異的な生命力も有している。
だが、彼はあくまで「人間」、ないしその延長上の存在にすぎない。
フリーザほど「警察などではどうにもならない」という説得力に欠けるのだ。
特に、超人的な主人公や悪役のなか、この作品は他の少年漫画に比べ警察がよく活躍する。
もしかしたら彼らなら、シックスを逮捕し、正当な手続きで裁きを下すことも可能だったのではないか?――そう思えるほどに。
しかし、結果としてシックスと警察が真っ向からぶつかり合うことはなかった。
個人的にはそういった展開が見たかったが、もしシックスを絶対悪として強調するなら、警察ではいかなる手段を用いても手も足も出ないということを明確に描写すべきだった(それでもなお、最終的には警察がシックスを逮捕するという展開を望むが)。

結末は、他の少年漫画と同じく主人公が半ば独善的にシックスを殺害するという形となる。
最終的には圧倒的な力の差が生じ、主人公の裁量如何によって殺すか否かという選択を迫られたという点でフリーザとシックスは共通する。
すなわち相手はボロボロに追い詰められ、抵抗する力をほとんど殺がれ、主人公が引き金をひけばすぐにでも殺せる状況だ。
だが、悟空がフリーザを許そうとしたのに対し、ネウロはシックスを端から殺すつもりでいて、最後まで許さなかった。
この点で両者は大きく異なる。

たしかにキャラクターの性格として、悟空は情に脆かったりどこか甘いところがあり、ネウロはそもそも人間でないなどの違いはある。
だが、「シックスを許そうとする」立場として弥子がそこに立てたはずだ。
弥子はシックスに親しい人間を殺されてはいるが、それをいうなら悟空も同じだ(ドラゴンボールで生き返らせられるという違いはあるが)。
シックスを許そうという発想はフリーザを許そうとするのと同じくらい馬鹿げてはいるが、しかしそれでも、それを試みるチャンスもなく、ましてや発想も浮かばないというのは、やはり哀しい。
特に弥子がそこに立てなかったのはとても哀しい。
その意味で、そんな発想すら浮かばないという意味で、シックスは作中では「絶対悪」としての地位を確立しているかもしれないが、しかし、どうにも作者の都合で強引に「絶対悪」に仕立て上げられたのだという印象が消えないのだ。
フリーザが、許そうとしてもなお許すわけにはいかない存在であったのに対し、シックスははじめから絶対悪として設定され、はじめから許すつもりなどない存在として描かれた。
結果として、皮肉なことに「絶対悪」としての説得力に欠けてしまう。


「殺すしかなかった」という意味で異常な説得力を帯びる悪役としては、他には『ヘルシング』の少佐が印象深い。
彼はあくまで「人間」であり、物理的には逮捕・拘留……といった手順を踏むことは可能だった。
ただ、彼はその罪状があまりにも大きすぎる(被害者約380万という狂気)し、なにより手に負えないほど「狂って」いた。
彼が更正するなど天地がひっくり返ってもあり得ないし、仮に逮捕し裁判にかけても死刑以外にあり得ないだろう。
仮に死刑廃止国であったとしても、世論が彼の生存を許すだろうか?
そんな冷静な議論ができるほど高い民度を備えた国家はこの地上に存在しない。
そもそも彼は一度完膚無きまでに敗れたはずなのだ。
にもかかわらず50年の月日を経て蘇り、空前絶後の大犯罪をなした。
そして、もし彼をまた逃すようなことがあれば、50年後にさらなる悲劇が繰り返されるだろう。
「未来を裁くことはできない」――しかし、彼なら間違いなくそうするという強烈な説得力がある。
つまり彼は心理的な意味で「絶対悪」なのだ。
あの状況下に立ってしまえば、インテグラだろうが誰だろうが、彼を「撃ち殺す」以外にはない。
彼を逮捕し拘留し……などという選択肢が頭をよぎることは(仮に可能であっても)ない。
少佐としては、その場で殺されることより、逮捕され刑務所送りのなる方が、よほど屈辱であったに違いないのに。

しかし、あくまでそれは心理的なものだ。
物理法則には抗えなくとも、心理的な拘束なら自由意志によってどうとでもなるはずだ。
それができない。自由意志は否定された。
彼を「殺した」のか、それとも「殺すしかなかった」のか。それは結果的には同じでも大きな違いだ。
ほとんどの作品はその悲劇から積極的に目を背ける(『ヘルシング』も『ネウロ』も然り)。
目を背けなければ「いられない」のだ。
なんという悲劇だろうか。

「絶対悪などあり得ない」その観点に立ち、はじめて我々は絶対悪とはなにかを知る。
それは正義の弱さなのだ。
絶対悪を許さないこと、すなわち「殺すしかない」と断ずること。
逆説的に、それこそが絶対悪の存在を「許して」いるというわけだ。

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