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『赤の女王』
writer:饗庭淵 2012-08-09(Thu) レビュー・感想・紹介 
本書は「性」という大いなる謎を進化生物学的視点から論じる。

読めば、進化生物学において「性」というものが思いのほか謎に満ちたものであることがよくわかる。
まず存在理由からしてよくわかっていないのだ。
僕が今まで信じてたのは環境変化に適応するための多様性の獲得だったが、過酷な環境ほど有性生物が多いかといえばそうではない。
普通に考えるなら、無性の方が子孫を残しやすいのだから圧倒的に有利なのだ。
なにせ有性生殖は子孫を残すたびに遺伝子を50%捨てなければならないのだから。

「性の存在理由」に関する説は複数あり、僕が今まで信じていた「環境変化に適応するための多様性の獲得」の他には、「草の絡み合った土手」説というのもある。
これは「ある程度同一規格で経済が飽和したのなら新しい規格を売り込んで顧客拡大を目論むのが自然」とでもいうべき説だ。
が、これも決定力が乏しく、また観察結果からも否定される。
この説が真なら小さな子を多く持つ種が有利になりそうだが、そうはならない

そこで本書が支持するのは「赤の女王」説だ。
生物にとって最大の競争相手は「自然」ではなく「他の生物」である。
性では特に「寄生者」が問題になる。
たとえば、ウイルスは短期間に世代交代を繰り返し絶えず突然変異で新しい型を生み出し続けるので、人間をはじめとした動物は性によって大幅な遺伝子組み換えで対抗する。
この説もまだ未解決問題がいくらか残ってるようだが、非常に興味深い。


続いて、本書では「なぜ性は二つでなければならないのか?」といった問題にも言及する。
なぜ雌雄同体ではダメなのか。同種の50%としか交配できないなどというのは非効率的ではないか。
まずはオスとメスの違いとはなにかを論ずる必要がある。
なぜ二性に分かれたのか?
その理由は引き渡される配偶子から寄生者を排除するためだ。
すなわち、オスの精子は核遺伝子以外の一切をメスの卵子には提供しない。
この際、ミトコンドリアをはじめとした細胞小器官(オルガネラ)も締め出される。
だが、オルガネラからするとこれは困る。
オスに移り住んでしまったが最後、袋小路に入るのだ。

仮にネズミが雌雄同体だったら?
オルガネラにとってオス機能は邪魔でしかない。
ゆえにそれを縮小させるよう目論む。
するとメスと雌雄同体の二者に分かれ、メスの数が増える。
するとオス側が有利になる。よってオスが増える。
そうして、メスとオスにきれいに分かれてしまう。
カタツムリなど雌雄同体の生物も存在するが、多くの生物が二性に分かれているのはこのためだ。


以上のように、オスとメスとでは進化圧が大きく異なる。
ゆえにオスとメスでは形質が違ってくる。
同性愛カップルは互いの性の特徴が強化されるという話は面白い。
ゲイは乱交でその場かぎりの関係が多く、レズは一夫一妻的でフリーセックスは好まない。
そうした性に対する姿勢の違いに折り合いをつけなければならないのが異性愛だ。

性淘汰の議論において必ず持ち出されるものにクジャクなどの過剰装飾がある。
彼らは生存に不利なレベルでの重い装飾を身につけてメスの気を引く。
性淘汰と自然淘汰が対立しているケースだ。
これについて、僕は今まで「ランナウェイ説」支持していた。
ある日、メスが尾の長いオスを好む。
生まれてくる子は、メスの「尾の長いオスを好む性質」と、オスの「尾の長さ」が引き継がれる。
それを繰り返せば、メスはどんどん尾の長いオスを好み、オスは尾が長くなっていく。
ただ、この説の欠点はその「ある日」になにが起こったのか、きっかけを説明できない点だ。

他に対抗する説としては、「優良遺伝子説」や「ハンディキャップ説」がある。
前者は「装飾が優秀な遺伝子のディスプレイである」とする説。
後者は「こんな邪魔なものつけてるのに俺は今まで生存してきたんだぜ! すごいだろ!」説。
正直な話、僕はこの二つの説を馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってきたが、両者とも一定の実験・観察による証拠を集めているらしく、どれが絶対的に正しいとはいいがたいらしい。
種によってふさわしいモデルが違うとかなんとか。


他に興味深かったものとして、鳥類のメスの不倫の話(これは寝取られ厨歓喜では)。
オスの不倫はより多くの子供の父親になるためでわかりやすいが、メスの場合は?
説として有力なのが、「子供を育てる夫」は欲しいが、すでに「いい男」は他の女にとられている。
ゆえに「いい男」の子どもを生み、そのへんの男を夫にして育てさせればよい、という戦略だ。



さて、本書後半から議論はいよいよ人類に集中してくる。
著者は、肉体だけではなく心にも確実に男女差が存在すると主張する。
そして、それは社会的抑圧といった説明だけでは不十分だ。
これらの主張は、一方で「男女は平等であるべし」という強烈な社会的抑圧を無視しているからだ。
もちろん根拠はそれだけではなく、様々な実験的証拠を挙げているが、詳しくは本書を読んでいただきたい。

乱暴にまとめてしまえば、男性は異性の若さと容姿を、女性は異性の金と地位を気にする。
男はポルノ映画を好み、女は恋愛小説を好む。
男は視覚的イメージを、前戯も後日談もない一夜限りの関係を、被写体の女優を好む。
女にとってセックスはおまけであり、そこに至るまでの物語を、異性の言動に対する自らの反応を想像して楽しむ。
男性はセックスの数だけ子供を増やせる可能性がある。
一方、女性はそうとはかぎらない。生涯に生むことのできる子の数には限りがある。
この違いが男女の思考形態を隔てている。

ただ、もっともらしい理論ではあるが、我々もよく知るよう、理解に苦しむ事例も多く残されている。
すなわち、「なぜ女性はファッションを追求するのか?」という問題だ。
ファッションとは「地位(ステータス)の象徴」であると考えてよいだろう。
しかし、ステータスを気にするのは女性であって男性ではない。
なぜ女性が自らのステータスを誇示することに固執するのか?
謎ではあるが、仮説はある。

男性は、女性が実際以上に容姿にこだわると考えている。女性は、男性が実際以上にステータスにこだわると考えている。つまりそれぞれの性は、本能的に異性も自分と同じことを好むという信念のもとに行動しているに過ぎないのだ。

つまり、互いに互いを投影して好みを勘違いしているという説明だ。
この記述から僕はもう一つのことを連想にした。
「ただしイケメンに限る」――男性側の投影による勘違いだ
「ただし美女に限る」の方がよほど正しい。
女性が好むのは男性の金や地位、そして背の高さくらいで、実のところ顔はほとんど関係ない。
(もちろん、これはあくまで統計的なデータであり、個々人すべてに適用できるものではない)

皮肉めいていて思わず信じたくなる説だが、本書にもあるようこの説明も完全ではない。
女性は自らの若さにこだわるが、異性の若さにはあまりこだわらないといった反例もある。
また、「そのような勘違いはそもそも進化的に不利ではないか?」といった反論も思いつく。
後者については防衛機制の投影が誤作動した、くらいの解釈が妥当だろうか?
いわば中立進化説のように、多少不利ではあってもそこまで適応度に影響を及ぼさないといったところか。
男性は「女性はイケメンを好む」と勘違いしているが、たとえば化粧のように自らの容姿を改善する努力はあまりしない。
勘違いがコストの浪費に結びつかないのなら大して不利でもないだろう。
しかし、一方ファッションは?
女性はファッションのために多大な浪費をすることはよく知られていることだ。

視点を変えよう。
そもそもファッションは必ずしもステータスの象徴といえるだろうか?
しかし、常に最新の流行を追い求めるその動機にはやはりステータスの誇示が含まれるだろう。
僕の思いつく説としては、女性のファッションは対男性より対女性を意識しているようにも思う。
女性には「悪い噂を流す」という情報兵器がある。
コミュニティで地位を維持できないものはこの攻撃の犠牲になる可能性がある。
女性もまた女性コミュニティで一種の権力争いがあるのではないだろうか?

「異性の理想の体型」については男女ともに勘違いしていることが実験で確かめられているが、ファッションについての実験は記載されていない。
いずれにせよ、このへんはまだ議論の余地が残っている。




本書の実際の議論はもっと細かくて丁寧だが、おおざっぱな理解で要約するとこんなところだ。
僕の読んだマット・リドレーの著作は『徳の起源』に続き二作目だが、どちらもあらゆる思惑(むろん比喩)が複雑に錯綜してにっちもさっちもいかない、理想主義を粉々にするような現実のもどかしさを感じずにはいられない。



訳者あとがき。

著者は繰り返し、科学的に現象を説明することと、その現象を肯定することは別であると述べている。それはその通りで、「である」という文章が「そうであるべきだ」という文章とは異なることや、科学的説明が価値観と別物であるということは、私自身の著書でも常に強調していることである。著者は、性差や人種差に関する研究が嫌われるのは、説明と肯定を混同する誤りに起因するものであり、そのような混同から、研究そのものが否定されるのは非科学的であると述べている。また、自分は現象を説明しているだけであって、社会問題に処方箋を与えようとしているわけではないともいう。
(中略)
科学的事実というものには、それなりの重みがあるし、それが我々の持っている価値観と異なっている場合には、そのギャップを埋める方策を考えなければならない。そして、そうするための納得のいく方策が出せないのならば、むしろ科学的事実を明らかにしないほうがよい、という意見もあながち否定できるものではないと私は思う。


なにいってんだこいつ。
と思って訳者名を見たら女だった。
あ、あー……。






訳が少々ぎこちないことを除けば文句のない素晴らしい一冊です!!
例によって絶版みたいだけどね!!

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