あえばさんのブログです。(※ブログタイトルはよろぱさんからいただきました)
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物語は、その終幕において物語として最も強く意識される
writer:饗庭淵 2010-01-26(Tue) メリクリ
突然ですがエロゲの話をします。
たとえば、エロゲには「ストーリーはどうでもよく、ただエロければ(萌えれば)いい」という作品が多く存在します。
そのような作品は別にあってもよいのですが、問題は「どうでもいい」といいつつもやはり「ストーリー」であるという点です。
そして、どうしても作品を「物語」として意識しなければならない瞬間がエンディングになります。
本来、物語をどう結末するかというのは大きな悩みどころなのですが、多くのエロゲ作品は「(ヒロインの名前)エンド」「ハーレムエンド」など、いずれにせよ「愛」と「幸福」による安易な結末を定型化することで問題を回避しています。
その点が、僕にはどうにも気味が悪く思えてならないのです。
これからもこんな幸せな日々が続いていく――
たとえば、こんな文言でエロゲの物語は終幕します。
続かなければよし。彼の物語は破綻、混乱し、その解決に向けて再び動き出す。
おそろしいのは「こんな幸せな日々」が本当に無限に続くということだ。
彼にはもうなにもすることがないのではないか?
彼にはもうなにも考えることがないのではないか?
つまり、彼はもう生きていなくてもいいのではないか?
今までなんの感情移入もできなかった主人公でも、「お前の人生、本当にそれでいいのか」と問い質したくなる。「なんのために生きてきたのか」と。
社会には多くの問題がある。我々の人生には多くの悩みがある。
それらをすべて無視して「愛」と「幸福」の中に身を投じる。
まるで「女」が人生の目的であったかのように。
彼らの未来が想像できない。
また、「数年後の結婚生活」などは最悪のパターンだ。
たとえば、「恋愛」時には相手の美しい面しか見えなかったが、「結婚」後いっしょに暮らすようになると汚い面も見えるようになり相手に幻滅する、というような話はよくあるものです。
それでなくとも、恋愛から結婚というのは大きな環境の激変です。
なにか起こるはずなのです。そう、なにか「物語」が。
それが一切描かれず、数年後なのにもかかわらず、ただ本編の恋愛の延長として描かれる。
数年経っているはずなのに二人の関係になんの変化も見られない。
恋愛していた当時のテンションのまま結婚生活が続いている。
もしかしたら、これからさらに数年経ってもなにも変わらないのではないか?
そう考えるとすごく不気味に思えるわけです。まるで彼らが死んでいるように思えて。
いずれは互いに老いるわけで、いくらなんでも恋愛のテンションではいられなくなるでしょう。
ですが、その夫婦間の微妙な距離感、互いに煩わしく思いつつも離れることができない、そんなありふれた現実的な関係もあり得たはずです。
数年後などといわずに数十年後、互いに中年になった二人を見てみたいが、そういった熟年夫婦的な関係は決して描かれない。
そういう「現実」を肯定できないでいる「初々しさ」が世界のルールになっている。
彼らの未来が想像できない。
「そんなのいちいち考えなければいいじゃん」
まさにその通りで、考えなければいい。
逆に言えば、思考停止するほかない。
エロゲなどは、ある意味で現実から目を背けるためのツールです。
そういった存在を否定するのではありません。僕もお世話になりますから。
しかし、それゆえに逃れがたい歪みが発生しているのも事実。
そしてこの問題はおそらくほとんど認識されていない。
その提言が『メリクリ』のテーマの一つとなっているわけです。
たとえば、エロゲには「ストーリーはどうでもよく、ただエロければ(萌えれば)いい」という作品が多く存在します。
そのような作品は別にあってもよいのですが、問題は「どうでもいい」といいつつもやはり「ストーリー」であるという点です。
そして、どうしても作品を「物語」として意識しなければならない瞬間がエンディングになります。
本来、物語をどう結末するかというのは大きな悩みどころなのですが、多くのエロゲ作品は「(ヒロインの名前)エンド」「ハーレムエンド」など、いずれにせよ「愛」と「幸福」による安易な結末を定型化することで問題を回避しています。
その点が、僕にはどうにも気味が悪く思えてならないのです。
これからもこんな幸せな日々が続いていく――
たとえば、こんな文言でエロゲの物語は終幕します。
続かなければよし。彼の物語は破綻、混乱し、その解決に向けて再び動き出す。
おそろしいのは「こんな幸せな日々」が本当に無限に続くということだ。
彼にはもうなにもすることがないのではないか?
彼にはもうなにも考えることがないのではないか?
つまり、彼はもう生きていなくてもいいのではないか?
今までなんの感情移入もできなかった主人公でも、「お前の人生、本当にそれでいいのか」と問い質したくなる。「なんのために生きてきたのか」と。
社会には多くの問題がある。我々の人生には多くの悩みがある。
それらをすべて無視して「愛」と「幸福」の中に身を投じる。
まるで「女」が人生の目的であったかのように。
彼らの未来が想像できない。
また、「数年後の結婚生活」などは最悪のパターンだ。
たとえば、「恋愛」時には相手の美しい面しか見えなかったが、「結婚」後いっしょに暮らすようになると汚い面も見えるようになり相手に幻滅する、というような話はよくあるものです。
それでなくとも、恋愛から結婚というのは大きな環境の激変です。
なにか起こるはずなのです。そう、なにか「物語」が。
それが一切描かれず、数年後なのにもかかわらず、ただ本編の恋愛の延長として描かれる。
数年経っているはずなのに二人の関係になんの変化も見られない。
恋愛していた当時のテンションのまま結婚生活が続いている。
もしかしたら、これからさらに数年経ってもなにも変わらないのではないか?
そう考えるとすごく不気味に思えるわけです。まるで彼らが死んでいるように思えて。
いずれは互いに老いるわけで、いくらなんでも恋愛のテンションではいられなくなるでしょう。
ですが、その夫婦間の微妙な距離感、互いに煩わしく思いつつも離れることができない、そんなありふれた現実的な関係もあり得たはずです。
数年後などといわずに数十年後、互いに中年になった二人を見てみたいが、そういった熟年夫婦的な関係は決して描かれない。
そういう「現実」を肯定できないでいる「初々しさ」が世界のルールになっている。
彼らの未来が想像できない。
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まさにその通りで、考えなければいい。
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